箸袋を握りしめ

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箸袋を握りしめ

「お先っす」 「お疲れ。ああ、大五郎ちょっと待て」  高校を卒業して就職したのは、学生時代のバイト先の店長が紹介してくれた大型トラックの部品製造工場だった。  大五郎と言う名前は年配の人間には何故かウケがいい。なんでも時代劇に出て来る子供の名前だそうだ。父と子で成す復讐劇らしい。  だからか。だから子供の頃定食屋で知らんオッサンにやたら可愛がられたのは。  この時ようやく合点がいった。母はどんな気持ちでこの名を付けたのだろう。 「お前今日飯どうすんだ?」 「あー……コンビニっすかね」 「馬鹿だなお前。コンビニなんて五百円出しても腹膨れないだろ。来い、いい店教えてやる」  そう声をかけて来たのは同じラインに就く班長だ。三十代半ばで面倒見が良い。  行った先は会社近くの定食屋。  老夫婦が取り仕切る、昔からそこにあるような店。知らない有名人のサインが五枚ほど黄ばんだ姿で飾られていた。 「ここの飯なら七百円もあれば満腹だぞ。たまにはちゃんと食え」 「なんで俺がろくに食ってない前提なんすか」 「社食の飯を山盛り三杯食ってれば“こいつ金ないな”って思うに決まってるだろ。お代わり無料だもんな。俺も最初は世話になったなあ。ラップ持ってきてこっそりおにぎりにして持ち帰ったり」 「マジっすか。俺もやろう」 「馬鹿。俺が怒られるだろ。自分で考えたことにしろよ?」  そんな話をしていると、目の前にホッケ定食がやって来た。  ホッケ、大根おろし、切り干し大根の煮物、サラダ、わかめと豆腐の味噌汁、白米、漬物。  その中で彼が目に留めたのは割り箸だった。  “おてもと”表記も多い中、ここのは“大野屋”と豪快な筆使いで店名と電話番号が書いてあった。今はあまり見なくなった、お店の名刺のような箸袋。    黙々と食べ始めた班長の横で、彼はその箸袋の中に古い記憶が入っているような気がした。 『おれオムライス!』 『なんだよ、もっといいの食えよ』 『いいのって何?』 『ホッケ定食』 『えー、魚いらない』  この記憶はいつの記憶だろうか。  あの時拒否したホッケを、彼は今噛みしめるようにして味わっている。  大根おろしを大事そうに一口大のホッケの身に乗せ、「うんめぇ」と言って食べる母の姿。自分もまた、同じように大根おろしを丁寧に乗せ食している。  一つも残さず綺麗に完食した後、彼はこっそり箸袋をポケットに入れた。  帰宅後、彼は遺品の菓子箱を開けた。  バラバラと出て来たのは母との想い出、十三枚の箸袋。  その中に“お食事処・志の助”と書かれた袋を見つけた。それを裏返す。 “おむらいす・けちゃっぷがおいしい”  ミミズみたいな字は自分が一年生の時のものだ。ちなみに「す」の字は左右反転している。  初めての外食で、カウンターの丸椅子に異様にはしゃいでいたことを思い出した。  母ちゃんの想い出を辿りたい。  箸袋を手に、長い思春期を止めた彼は素直にそう思った。  袋は十三枚。店名は全部違う。  もしかしたらもう潰れている店もあるかもしれないが、ここから彼の箸袋ジャーニーが始まった。
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