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定食・中華の若大将
店内に入ると随分古い歌が迎えてくれた。低く豊かな声で“俺の海よ~”と流れている。というか、その後もその歌手しか流れない。
脂っぽい店内は、子供の頃と変わらないと思われた。かなりノスタルジーの色濃い店だ。
「ハンバーグ定食、ご飯大盛で」
「あいよハンバーグ大盛!」
彼は料理が出るまでの間、待てずに裏が白紙の箸袋を出した。
今日はここに追記ではなく、初書き込みとなる。
少し混雑する店内で、待ち時間は昔の記憶を悔いる時間となった。
『大、ちょっと行ったとこにうまいハンバーグ出すとこ見つけた』
『えー、俺今日はいいよ。お笑いスペシャル見る』
『馬鹿野郎、そんなもん録画で見れるだろ』
『俺はリアタイしたいんだよ』
『いいから行こうぜ。明日どうしても仕事でファッキン・イブしか出来ないんだよ』
『あー、もう。分かったよ』
そうは言うものの、内心ハンバーグへの期待値は高かった。
今までハンバーグと言えば母子共に大翔軒のハンバーグが美味しかったからだ。あれを超えるとなると、相当うまいはず。
テレビは録画して帰宅後に見ることにし、渋々を装って母のトラックに乗った。
正直、母と共に行動するのはちょっと恥ずかしい気がしたからだ。
『どうだ? この肉汁じゅわ~、ヤバくないか?』
そう言われた大五郎は顔をしかめる。
『じゅわ~は確かにいいんだけどさ』
『なんだ、なんか不満か?』
『俺このデミソースあんま好きじゃない。大翔軒みたいなもっとケチャップ臭いのが好き』
『はぁ!? お前大将の前でグルメ気取ってんじゃねえぞ!?』
『うっさいな……俺これだったら家でお笑い見てた方がよかった』
『……そうか。ファッキン・ファッキン・イブで悪かったな』
彼はなんとなく腑に落ちないまま帰宅する。
やりたいことを犠牲にし、絶対うまいと連れて行かれ、期待値に届かなかったから文句を言っただけなのに。
さらに間の悪いことに、録画はミスで録れていなかった。
『マジクソ! もう母ちゃんと外食なんかしねえよ! だったらその金貯めて俺にくれよ! 学校のダチとゲーセン行ってた方がなんぼかマシだわ!』
人の気配がして、お膳を持ったおばちゃんが立っていた。
「お待たせしちゃってすいません。ハンバーグ定食ご飯大盛ね」
目の前に置かれたのは、まだじゅうじゅうと音を立てているデミソースたっぷりのハンバーグ。いや、たっぷりと言うには少々ソースが多すぎる。ジャストサイズの鉄板からはソースがこぼれていた。
定食なのでこれに大根とねぎの味噌汁、ご飯、漬物、サラダが付いていた。
「いただきます」
早速ハンバーグに箸を入れる。
記憶の母が言った通り、じゅわっと肉汁が溢れた。見た目もにおいも間違いなく美味しい。あの時自分が気に入らなかったのは、デミソースだった。今もケチャップとウスターソースを足したような家庭的なハンバーグの味が好きなのは変わりないが、母と決別するほどではない。意地張って母に反抗したかった自分が憎い。
彼は湯気のたつハンバーグを一口、ソースをよく絡めて口の中に運んだ。
母が、ここに連れて来た理由が分かった。
「うっ……」
続きはしばらく食べられなかった。人のいる店内で、彼は出されたおしぼりで目頭を押さえたまま、嗚咽を僅かに漏らす。
このハンバーグは煮込みハンバーグだ。深皿ではなく鉄板に乗ってしまって気づかなかったが、彼がとろける味わいに舌鼓を打ったあのビーフシチューに、限りなく近いソースだ。
母はきっともう二度と味わわせる事の出来ないあのビーフシチューを、このハンバーグで疑似体験してもらいたかったのかもしれない。
「お客さん、どうかしましたか?」
「いえ、すみません。ちょっと想い出の味で、懐かしくて」
「あれ! これ五年前の箸袋! よく持っててくれましたね! 経費削減で今はもう使ってないんですよ」
「そう、なんですか。あのこれ、どうして煮込みなのに鉄板なんですか」
「あーそれ。オープン当初はココットだったんですよ。でもある日まとめて割っちゃって、その日の営業どうすんだってなって。普通のハンバーグみたいに鉄板で出したら、なぜかこぼれるソースのウケが良くて。それからそのスタイルなんですよ」
それから彼はゆっくりと時間をかけて完食する。
空の食器に手を合わせ、「ごちそうさまでした」を二回言った。
お店と、あの日言えなかった母に。
そして箸袋に母への短い手紙を書いた。
“ずっとガキでごめんなさい。俺も母ちゃんに飯食わせたかった。若大将のハンバーグはビーフシチューみたいでうまい”
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