これは虚構に近い、普通の恋

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 飛行機のなかでも、「なんで私が」、「あの子とはとっくに縁を切ったのに」、「死んだなんて知ったこっちゃないわよ」とイライラした様子の祖母と、無言で何も言わない不愛想な祖父に挟まれて雰囲気が悪いことこのうえなかった。  葬儀は、そんな二人の住処である秋田の日本家屋で執り行われることが決定していた。お母さんの実家とも言える。飛行機で一時間もかけて初めて訪れた秋田には、山と水田以外は何もなかった。にぎやかで人がたくさんいる東京とは雲泥の差だ。お母さんはこんな田舎で育ったから、都会に憧れを抱いていて、それで東京に出てきたんだろうか。  葬儀までの数日を私は、必要以上に広い家で腫れもの扱いを受けながら過ごした。  お母さんは、私のことを高校二年生のときに産んだ。お母さんの実家は、広すぎる敷地と立派な家から想像できるとおり、格式高く堅苦しい家庭だったようだ。たとえるなら、「夏凪家の名に恥じぬ行いを」、みたいなそういう感じだ。だから、勉強も運動も苦手だったお母さんは家では肩身が狭く、両親からはほとんど放任されて育ったらしい。さらに、お母さんが十七歳にして妊娠し、しかも相手が二十六歳の会社員(肌含めてごく普通)だということが判明すると、両親は「これ以上、親に恥をかかせるな」と激怒し、とうとうお母さんを勘当した。  それからお母さんは、お父さんと駆け落ち同然で東京に出て、私を産んだ。でも、生まれてきたのが奇妙で奇異で奇怪な子供だったから、お父さんは「俺の子じゃない」だとか言い逃れをして蒸発してしまったのだろう……というようなことを、葬儀中に私の親戚にあたるのだろうおばさんたちがひそひそ話しているのを小耳に挟んだ。  全て、初めて知ることだった。お母さんは親の期待にこたえられないスペックだったうえに、高校生のときに妊娠までして、由緒正しい家の名前に泥を塗ってしまったから、おばあちゃんやおじいちゃんに嫌われていたのだ。私のお父さんは、てっきり亡くなったものだと思っていたけど逃げてしまったんだ。 お父さんは、私が普通の子供じゃなかったから、育てたくなくなったのかな……。  そう思うと悲しくなって、少し傷ついた。お母さんからの遺伝でもなくお父さんからの遺伝でもないとすれば、私のこの肌質は突然変異だということになる。それも、なんだか不安定な話だった。
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