これは虚構に近い、普通の恋

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 私は耐えきれなくなって、住職が読経をしている最中なのに、座布団から立ち上がった。読経が聞こえてこなくなるまで、お手洗いの個室に引きこもってやり過ごした。ひとしきり泣いて会場に戻ると、お母さんが横たわる棺の中に、皆が花を入れる段になっていた。私も白い花を一輪受け取って棺に入れた。  白い棺に入っているお母さん。目をつむって動かないし、当然、息もしていない。  ……もう、本当にサヨナラなんだ。  また目の縁が熱くなってきた、そのとき。 「姉さん!」  その場にいた全員が振り返った。  若い男の人が立っていた。急いできたのか黒髪はぼさついていた。黒縁のメガネが印象的だった。あまり似合っていない喪服に、結び慣れていないのが一目瞭然の、結び目が不格好な黒いネクタイ。 「あら、若葉くんじゃないの。あの子、うちの県でトップの大学に特待生で入学して、学費全額免除された子でしょう?」 「高校中退して妊娠出産した南ちゃんとは雲泥の差ね……、姉(きょう)弟(だい)なのに、どうしてこうも違いが出ちゃったのかしら」 「そういえば聞いた? 彼、もう大学の単位ぜんぶ履修し終わってて、卒論も順調で暇だから、家で毎日漫画描いてるらしいわよ」 「漫画? ばかばかしい。本がちょっと売れたからって、調子にのっちゃって……どうせすぐ打ち切られるんだから、大人しく勉強だけしてたらいいのにねぇ」  そばに座っていたおばさんたちは、ひそひそとそんなことを言っている。 「おお、若葉くんじゃないか」  さっきおばさんたちを注意したおじさんが、彼に向かって声をかけた。 「すみません、寝過ごして……」 「そうか。間に合ってよかった。……お姉さんにお別れをしような」  おじさんが、花を一輪だけ若葉くんに手渡す。  若葉くんがその花を受け取って、棺に向かい合った。彼は、棺の前に膝をついて、花を入れる。大人の男にしては薄い肩がかすかに震えていた。 ――泣いてる。  この葬儀で涙してるのは、自分だけだったので、そのお兄さんが泣いていたことに少し驚いた。でも、ホッとしたし嬉しかったのも事実だった。自分以外にもお母さんの死を悲しんでくれる人がいたのだ。 「ほかに棺にいれるものはございますか? 故人の方が、生前大切にしていらっしゃったものですとか、思い出の品ですとか」
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