これは虚構に近い、普通の恋

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 ある日の夜。一枚の布団を共有しながら、私はお母さんに何となく尋ねてみた。  ゼロ距離にいるお母さんは、「うーん、お母さんは、春雨(はるさめ)サラダが好きだったから」と、私の頬を撫でて教えてくれた。 「えっ、うそ、それだけ?」  悲痛な声を上げた私に、「うそうそ。もちろん、それだけじゃないよ」と笑ってみせた。 「生まれてきた赤ちゃんがピンク色に光りながら大声で泣いてて……、ピンクに光ってる頬っぺたに涙が流れてくのを見て、春色の雨だ~と思ったの。助産師さんたちもとてもびっくりしてたけど、私はなんだか神秘的だなって思って感動しちゃってね」  だから「春の雨」ということで、私は「春雨」と名付けられた。この名前をどう思うかは人によるだろう。けれど、私は案外この名前を気に入っている。だってそうそうほかの人と被らない名前だし、苗字とつなげれば「夏(なつ)凪(なぎ)春雨」。夏は凪いで、春は雨が降るなんて、なんだか名字と名前がお揃いみたいでカッコいい。 「さ、そろそろ寝よっか。明日起きれなくなっちゃうよ」 「うん」  お母さんが常夜灯を消すと、部屋は薄暗く包まれた。電気を消しても、私の身体はぼんやりとピンクの光を発している。「いつもくっついて寝るけど、眩しくない?」と尋ねると、「全然。きれいね」と返ってきて頬が緩んだ。 「……ねえ、春雨」 「なあに?」 「春雨は、幸せになってね。もしかしたら、この先たいへんなこともあるかもしれないけど、でもいつか春雨のことを好きって言ってくれる王子様みたいな人がきっと現れるから」 「? うん。わかったよ」  にっこりと笑って頷くと、お母さんはうれしそうだった。  けれどお母さんは、この翌日、唐突に私の人生から退場していった。トラックの急ブレーキ音と、アスファルトの血痕をエンディングにして。交通事故で、彼女の二十五歳という短い生涯は終幕になった。  洗面所で顔を洗い、お手洗いに入って、また部屋に戻り、私は制服に着替えた。  ワンピースタイプのセーラー服は着替えが楽で良い。紺色の生地に映える白い襟、そして胸元には、純白の大きなリボンとやたら可愛いデザインなのも嬉しい。  着替え終わると姿見の前に座った。セミロングの髪を、両耳の下でお団子に結っていく。仕上がりが左右シンメトリーなことを確認し、自室をでた。ダイニングキッチンに入った。 「若葉くん、おはよ」
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