これは虚構に近い、普通の恋

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 若葉くんは二十一歳の時に、ツイッターに連載していた漫画がバズって、凄まじい反響を得た。それが出版社の目に留まり、初めて単行本を出した。そのデビュー作がけっこうな部数を売り上げたことをきっかけに、若葉くんの作品と、「ワカナギナツ」というペンネームは急速に世間に認知されていった。もともと大学の先生になるつもりで、大学院まで出た若葉くんだったが、今や漫画一本で十分すぎるほどの生活を手にできているのはきっと嬉しい誤算に違いない。今や、若葉くんのペンネームを口に出せば「ああ! 『星屑ちゃん』を描いてる人ね!」と十人中九人は彼の代表作のタイトルを思い出すことだろう。 「よし、できた」  お弁当が完成したらしい。  菜箸をシンクに置いて、若葉くんは「おいしそうでしょ」と得意げにお弁当の中身を見せてくる。 「……卵焼きが入ってない」  それを見た私は若葉くんのエプロンの裾を軽く引っ張って、むくれてみせた。  きゅうりともやしのナムル、プチトマト、ミートボール、くまの形をしたミニハンバーグ、しそのふりかけのかかった白米……と、俵型のお弁当箱には夏らしく、栄養バランスの考えられたおかずが詰め込まれてはいる。けれど、そのなかに卵焼きだけがなかった。若葉くんのつくる卵焼きは出汁がきいててふわふわですっごく美味しい。 「あー……ごめんね。ちょっと作るの面倒だったから」  せめて、卵を切らしてるとか嘘をついてくれれば諦めもついたのに。 「お願い、卵焼き入れて! 卵焼き入ってないお弁当なんて、お弁当じゃないよ! 生クリームなしのケーキみたいなものだよ……!」 「よくみてごらん、どこに卵焼きが入る隙間が残ってるって言うの」 「このハンバーグをプチトマトのほうに、ギュッと詰めればいけるはずだよ」 「そんなことしたら、プチトマトが潰れちゃうって。このハンバーグとプチトマトの間には、卵焼きが割って入る余地なんてないから。また今度ね」  なんだか語弊のある言い方をすると、若葉くんは無情にもお弁当の蓋を閉めてしまった。  私が潤んだ目で「卵焼き……」と若葉くんを見上げても、若葉くんは「春雨が土曜に補習を受けないといけないくらい、テストで悪い点とってなければ……作ってあげたかもね」とジト目で見てきた。その言葉には、思わずぎくりとなってしまう。 「何点だったかなぁ……? 中間考査の点数」
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