視線

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最初はちょっと変だな、と思った程度だった。 予備校のチューターアルバイト。 わたしが個別指導する男子中学生から、じっと見つめられたのが、違和感のはじまりだった。 「ん、どうした。どこか分からないところでもあった?」 わたしが尋ねると、彼は規則正しく首を左右に振ってみせた。 「いいえ。(いずみ)先生。分からないところはありません」 「そう? 不明な点があったら遠慮せずに言ってね。そのためにわたしがいるんだから」 中学一年生の彼を受け持つことになったのは、夏のはじめ頃からだった。 初めましてのとき、わたしたちはお互い遠慮がちに挨拶を交わした。でも季節が秋へ移る頃には、それなりに打ち解けてきたと思っていた。 彼の、こんな堅苦しいしゃべり方は久しぶりだ。 「じゃあ、間違ったところを復習しようか?」 わたしは仕事なんだからと自分に言い聞かせて、気にしないよう努めた。 でも、高校入試の過去問テキストをひろげた彼は、やっぱり少しおかしかった。 国語が得意なはずなのに、なぜだか今日に限って、解くのにやたら時間がかかっている。 長文読解で、ジョンの行動の理由について問う問題だった。消去法で答えを探せば、さほど難しくはない。 さては学校で彼女でもできて、上の空なんだろう? そうやって軽口を叩いてやろうと思ったが、とてもそんな雰囲気じゃなかった。彼はいたって真面目だった。真面目すぎるほどだった。 だから冗談のひとつも言えずに、わたしはジョンが小石を蹴り上げた理由を、順序立てて説明してやらなければならなかった。 「先生、本日はどうもありがとうございました」 「おう。気をつけて帰れよ」 「はい。先生も。どうかお気をつけてお帰りください」 はあ。 思わず、間の抜けた返事をしてしまった。 彼は礼儀正しい生徒だが、わたしに対してこんな気遣いを見せたことは、これまで一度もなかったはずだ。 彼が去っていくのを見送りながら、わたしは思い返していた。 彼はわたしと向き合っている間、一度でも、まばたきをしただろうか?
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