23人が本棚に入れています
本棚に追加
最初はちょっと変だな、と思った程度だった。
予備校のチューターアルバイト。
わたしが個別指導する男子中学生から、じっと見つめられたのが、違和感のはじまりだった。
「ん、どうした。どこか分からないところでもあった?」
わたしが尋ねると、彼は規則正しく首を左右に振ってみせた。
「いいえ。泉先生。分からないところはありません」
「そう? 不明な点があったら遠慮せずに言ってね。そのためにわたしがいるんだから」
中学一年生の彼を受け持つことになったのは、夏のはじめ頃からだった。
初めましてのとき、わたしたちはお互い遠慮がちに挨拶を交わした。でも季節が秋へ移る頃には、それなりに打ち解けてきたと思っていた。
彼の、こんな堅苦しいしゃべり方は久しぶりだ。
「じゃあ、間違ったところを復習しようか?」
わたしは仕事なんだからと自分に言い聞かせて、気にしないよう努めた。
でも、高校入試の過去問テキストをひろげた彼は、やっぱり少しおかしかった。
国語が得意なはずなのに、なぜだか今日に限って、解くのにやたら時間がかかっている。
長文読解で、ジョンの行動の理由について問う問題だった。消去法で答えを探せば、さほど難しくはない。
さては学校で彼女でもできて、上の空なんだろう?
そうやって軽口を叩いてやろうと思ったが、とてもそんな雰囲気じゃなかった。彼はいたって真面目だった。真面目すぎるほどだった。
だから冗談のひとつも言えずに、わたしはジョンが小石を蹴り上げた理由を、順序立てて説明してやらなければならなかった。
「先生、本日はどうもありがとうございました」
「おう。気をつけて帰れよ」
「はい。先生も。どうかお気をつけてお帰りください」
はあ。
思わず、間の抜けた返事をしてしまった。
彼は礼儀正しい生徒だが、わたしに対してこんな気遣いを見せたことは、これまで一度もなかったはずだ。
彼が去っていくのを見送りながら、わたしは思い返していた。
彼はわたしと向き合っている間、一度でも、まばたきをしただろうか?
最初のコメントを投稿しよう!