視線

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わたしは大学で講義を受けていた。 基礎無機化学の講師が、プロジェクターに教材を投射している。 マイクを使用しているのに、講師の声はもそもそとくぐもっている。 それなのに、目だけはぎょろりとわたしのほうを向いている。 隣に座る友人も、なぜだかしきりに、わたしへ視線をくれる。 こうなってくると、気になるのは後ろに座っている学生たちだ。まさか彼らもわたしを? 居ても立っても居られなくなり、わたしはひと思いに、くるりと頭を後ろへまわした。 階段状に、前方から後方へ向かって高くなる講義室。 そこにいる見知らぬ学生たちは、誰も、わたしのことなど注視してはいなかった。 ああ、よかった。 ただの自意識過剰だったのか! 胸を撫で下ろして、すっと姿勢を正したときだった。 周りの視線が、いっせいにわたしを刺した。 首筋に羽虫が張り付いたようだった。 皮膚が、ざわざわする。 わたしはどういうわけか、一心にみんなの視線を集めている。 こうなると、もはや講義に集中などできなかった。 ランチのために学生食堂へ移動しても、腹痛のためにトイレへ駆け込んでも、午後の講義を放棄して家に帰ろうとしても。何をする時間も、ずっと落ち着かなかった。いや、落ち着かなかったなんてものじゃない。 行く人、来る人、わたしに目を留める。 わたしが歩き去るのを、ねっとりと眺めている。 今日も、本来なら予備校のバイトがあった。 でも、とても行く気になれない。 電話で休みの連絡を入れた。 「ええー、泉くん、バイト来れないんだ? 体調が悪いんだって。大変、それは大変だ。当然、今すぐ病院へ行くんだろうね?」 「いえ。家で寝てれば治ると思います」 「いやいやいや。昨今のウイルスは油断できないよ。そうだ、バイト代を多めに出してあげよう。だから今すぐ診てもらってきなさい」 こんなやりとりが、十分ほど続いた。 最後は「大丈夫ですから」と言い捨てて電話を切った。
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