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「ちょっと散歩してくるよ」
昼食を終えた瑛斗は今週もまた出かけていったが、散歩が嘘だということは明らかだった。夕方から雷を伴った大雨になると予報があり、空は低い雲に覆われ、既にぱらぱらと小雨が降り始めていた。
町田から話を聞いた時、一番に愛娘の咲凛の顔が浮かんだ。もうすぐ四歳を迎える可愛い盛りの咲凛は、この春から幼稚園に入園し、友達がたくさん出来て、お喋りもどんどん上達していた。
子育てには悩みがつきものだと言うが、生まれた時から体が弱かった咲凛の子育てには、常に不安が付きまとった。そんな時、そばにいてくれる瑛斗の存在が美咲の心の支えとなった。
集団生活を始めたばかりの頃はよく体調を崩す、と先輩ママから聞いていたこともあり、幼稚園に入れてからも仕事を探すのはまだ先になりそうだと考えていたが、そうも言ってはいられないと気が焦った。専業主婦で収入のない自分は親権を持つことができないかもしれないと思ったからだ。
それからまた一週間ほどが過ぎた。
町田の言葉が頭から離れず、自分の目で確かめるまではどうしても信じることが出来なかった美咲は、ある朝、咲凛を幼稚園に送った後、自宅の前を通り過ぎ、ひまわり幼稚園を目指して自転車を走らせた。
ブルーの屋根の家はすぐに見付かった。子供の頃に遊んだ“シルバニアファミリーのお家”のような、庭付き二階建ての可愛らしい外観で、表札には『佐伯』とあった。
自転車を押しながら家の前を通りすぎた美咲が、どうしたものかと立ち止まって考えていると、一台のトラックが止まった。猫のマークの宅配トラックだ。
運転手が荷物を手に佐伯宅のインターホンを押すと、間もなくドアが開き、中から若い女性が出てきた。
あの人が、瑛斗の――
遠目からでもわかる艶のある黒髪のロングヘアに、明るい声と柔らかい笑顔がチャーミングな女性だった。二十代前半といったところだろうか、年齢でもビジュアルでも到底敵わないと感じた。不審に思われないように、美咲はスマホを弄るふりをしながら女性と家の外観を撮影し、配達員が去ったあと、素早く表札の画像も収めた。
翌日には、モデルのようにすらりと背が高く、爽やかで優しそうな男性が佐伯宅から出てくるのを確認した。玄関で見送るのは昨日の女性で、男性が「いってきます」と口にしたのを確かに聞いた。彼女の夫で間違いないだろう。
町田の言ったことが事実ならば、ダブル不倫という形になってしまう。
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