ナンセンスな趣味

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 ある日、男は高校以来の友人の家に招待された。  お世辞にも綺麗と言えない部屋の中で、テーブルを囲む。 しばらくの間、男は友人との思い出話に耽っていたが、何杯か呑んだところで、とうとう目の端に映るものについて言及せざるを得なくなった。   「その壁にかけてある標本は何だい?」    男は、狭い部屋の壁に取り付けてある、立派な木箱を指さして言う。   「ああ、これか。」    友人はそう言って椅子から立ち上がると、木箱を取り外してテーブルの上に持ってきた。  見ると、大小様々な色の海老のしっぽがびっしりと貼り付けられていて、その下には小さな紙に、これまた小さな字で日付が書かれている。  男が怪訝な顔をすると、友人は予想通りと言った具合に説明をはじめた。   「これは、俺が今まで食べた海老のしっぽを集めたものさ。茶色いのと、赤いのがあるのは、生か、調理されたものかの違いだ。」    男はそれでも不思議そうな顔をしているから、友人は付け加えて言った。   「まあ、日記みたいなもんだよ。日付と、食べた食材の一部を貼り付けることで、後から見た時に思い出に浸るのさ。」    随分とナンセンスな趣味だな、と男は思った。   「いつからやっているんだい?」   「いやあ、もう10年以上になるかな。これより前のはもう箪笥の中にしまったんだよ。」    男はそう言って席を立とうとする友人を引き止める。  それにしても、彼にこんな趣味があっただなんて知らなかった。 ナンセンスな趣味であるのは間違いないが、とりわけ趣味のない男は、友人のそれに少し羨ましさを感じた。  男は改めて、綺麗に整列させられた海老のしっぽを眺める。  確かに、実際に思い出の一部を保存するのは、日記なんかよりも遥かに真に迫ったものかもしれない。  それより何より、男は、友人の持つこの奇怪な趣味にある種の特別感を見出していた。 男はその日、倒れるまで呑んで、そのまま寝てしまった。  翌日、男は友人に起こされると、二日酔いのまま帰路に着いた。  玄関の前について、ポケットから鍵を取り出そうとしたその時、男は死にかけの蝉を見つけた。  男は、ふと昨日の友人の趣味の話を思い出すと、しゃがんで落ちているセミを拾う。  弱ってはいるが、蝉は手の中でジリジリとやかましく鳴いている。 男は少しの罪悪感を感じながらも、好奇心に駆られてセミの羽を引きちぎった。  男は、だるまのようになった蝉を捨てると、引きちぎった羽を太陽にかざした。  太陽の眩しい光が、蝉の茶色い羽を透過して、ステンドグラスの様にきらきらと輝いて見える。  途端、男は嬉しくなって、その羽を家に招き入れることにした。  それからの日々、男は道端で死にかけた蝉を見つけると、こっそり羽をもいで持ち帰った。  しばらく経って、男の蝉の羽コレクションも随分充実してきた頃、会社の同僚が家にやってきた。  同僚は、仕事の相談だか何だかで家にやってきたのだが、話していると、ちらちらと壁の標本を見ているのがわかった。  男は少し面白くなり、話を中断すると、壁の標本を指さす。 「なあ、これが何だか分かるかい?」 「さあ、知らないな。さっきから気になっていたんだ。」  同僚はそう言うと首を伸ばして標本を睨んだ。  男は得意げになると、席を立ち、壁にかけてある標本を取り外して、テーブルの上に持ってきた。  大きなケースに、大量の蝉の羽が、所狭しと並べられている。  同僚はぎょっとして、眼鏡をかけ直すと、その標本を見つめた。 「これは、俺が今までに拾ってきた蝉の羽さ。少しずつ形が違うのは、蝉の種類によるものなんだ。都会の蝉も、結構色々いるもんだぜ。」 「へぇ、随分とナンセンスな趣味だね。」    同僚は、最初こそ固まって眉間に皺を寄せていたものの、食い入るように男のコレクションを見つめている。 次第に、その目に憧れの持つ特有の輝きが帯びはじめていたことに男は気がついた。   「ああ、なるほど。確かにこれは素晴らしい趣味だな。」  しまいには、同僚はそう言い残すと、何か思い出したかのようにいきなり帰ってしまった。  結局、仕事の話はほとんどできなかったが、男は満足していた。  人というのは、時にこういうナンセンスな趣味に惹かれるものである。  もしかしたら、今度は同僚の集めた奇妙なコレクションを見て、また別の誰かが似たような趣味を始めるのかもしれない。  男はそんなことを考えて、その奇妙なサイクルの一翼を担ったことに優越感を抱いた。  またいくらか日が経って、男はできたばかりの彼女をはじめて家に招いた。  しばらく、二人はテレビをつけて、ソファに座ってそれを眺めていたが、彼女が壁にかけてある例の標本を指さして、あれは何かと男に訊いた。  男は待ってましたと言わんばかりに標本を取り外して持ってきたが、男の期待に反して、彼女は悲鳴をあげると、何かおぞましいものを見るような目で男を睨みつけた。 「それ、生きてるのから取ったの……?」 「まぁ、生きていると言っても、ほとんど死にかけているやつからだけだよ。」  男は心外に思ったが、説明すれば分かってくれるはずだと考えてそう言った。  しかし、彼女は目に涙を浮かべると、最低、と一言言って出ていってしまった。  男は彼女の予想外の反応に、しばし呆然としていたが、段々と怒りが湧き上がってきた。  全く、この良さが分からんとは、ずいぶんつまらない人間である。  こうしたナンセンスな楽しみを理解できないのは、心が狭い証拠だ。    彼女がいなくなって、一気に寂しくなった部屋の中で、つけっぱなしのテレビは、あるニュースを読み上げていた。   『今日午後2時半、○○県○○市で、生後間もない幼児の手が大量に発見され、現場は一時騒然となりました。犯人は、『友人に憧れ、趣味で集めていた。』などと供述しており……』    男は、そんなことを言うテレビを指さして、一人叫ぶ。   「あの野郎!俺の趣味は、そんな下賎なものじゃないんだぞ!」
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