1人が本棚に入れています
本棚に追加
あとは魔法陣石の魔法陣操作だけです。頑張りましょう。
確認テスト用紙に書かれたマゲイルのコメントを眺めながら、ロチは手のひらで魔法陣石を指で遊ばす。マゲイルの補講授業を受け始めて早二週間、魔法陣学の基礎的なことをほぼ全て覚えることができているが、魔法陣石による操作だけは一向に出来なかった。授業でのマゲイルの様子を見るにこれは予想外のことと考えられたが、それはロチも同じだった。同じ師によって着せられた嘘をなんとか実現しようと奮闘し試行錯誤したが、どうしてもこれだけはうまくいっていない。このままでは嘘がバレてしまう、不正入学になってしまう。学校に行ったことのないロチでさえ、寮の図書室の本で知ったこの世の常識でそのことくらいは理解できた。部屋の机でひたすら石に意識を集中させる。以前、エリザに魔法陣石を使った操作方法を教わったが、それでもうまくいかない。エリザ曰く、初等科で習う際にもできない子は多く大体の子は石に意識を集中させれば陣を生成することくらいはできるそうだ。つまりロチは初等科の子供以下ということになる。ロチはそれを考え勝手に落ち込む。落ち込んでも仕方がないのは今までの経験で理解はしているが、どうしてもうまくいかなければそう思ってしまう。ロチが机に突っ伏し石を転がすと、窓の隙間から一枚の紙がするりと入ってきた。
ロチさんへ 入学おめでとうございます。始業式まで2週間になりました。ロチさんが受けなければならない授業に事前相談が必要なものがあります。今日中にリストの先生方のところへ向かい、お話を聞いてください。 中等四年担当教員 ヨシュア・アイアンサイド
突然の手紙に目を見開く。その手紙の内容も、宛てた主にも覚えのないロチは焦った瞳と手紙を持って、共有スペースに駆け込んで行った。
駆け込んだ先にはいつものように自由にしているエリザと、そのなんとも言えない距離で本を読むトビアの姿があった。焦っているロチを瞳にとらえたエリザはすぐさま駆け寄ってくる。
「どうしたのロチ、そんなに慌てて。あら?手紙が来たの?見てもいいかしら?見るわよ。」
エリザはロチの指に挟まる手紙をするりと取り出し、内容に目を走らせる。するとエリザはすぐに微笑みロチに口を向けた。
「ロチ、焦らなくて大丈夫よ。これは担任のアイアンサイド先生から、授業の準備をしてくださいっていうお手紙なの。ロチは私たちと違って春休み中に入学してるから今相談することになったみたい。ほら、いかなきゃいけない先生方の名前とお部屋の場所が書いてあるわ。」
焦った瞳が落ち着きを取り戻し始めたロチに、エリザが該当の箇所を指で指す。確かによく見ると特段焦る内容でもなく、ただの先生からの指示だった。
「でも、このアイアンサイド?先生はあったことない……。」
「大丈夫よ。リストの中にアイアンサイド先生の名前があるから、挨拶も兼ねて最初に行ってみたら。優しい先生だからきっとロチも安心できるわ。」
エリザにそう言われると、なんだかそうなるような気がする。ロチはそう感じ一呼吸おくと、「行ってくる」といい、そのまま寮を出て行った。
先生たちの部屋の案内は、初めて校舎に入るロチでもすんなり向かえるほどわかりやすかった。なぜあんなに焦っていたのか自分でも解せないロチは、焦りとは違う、何か固まったような感覚を抱えながらアイアンサイド先生の教員部屋に向かった。先生の部屋は一番影になりやすい、角の奥まった場所にあった。その部屋はランプの温かい光に照らされているとはいえ、ロチの目には陰鬱に映る。紙が示すドアの前に立つと、なんだかドアは自分を拒否しているような、そんな威圧を感じてしまう。だが、この手紙を出した人に合わないわけにはいかない。ロチは意を決してドアをノックする。するとドアから低い声色の返事が聞こえてくる。
「あの、今日手紙をもらいました。ロチです。入ってもいいですか。」
エリザとの会話で叩き上げられた西の魔界の言葉を、一生懸命に出す。その言葉に答えるようにドアがゆっくりと開き、血管がほのかに浮かび上がる青白い肌に赤い瞳の映える男性がロチを見下ろす。その体躯はロチを覆い隠すほど大きく見え、自分は鬼であるはずなのにどこか恐怖を感じずにはいられなかった。
「君がロチさんか。初めまして、私がアイアンサイドです。ドラクレアさんやアスモデウスさん、そしてロチさんの学年担当です。よろしくお願いします。」
その青白い肌に似合わない微笑みと、赤い瞳に似合わない丁寧な口調で挨拶されたロチは、少し拍子抜けてしまった。この先生は恐る必要などないと、そう感じることができている。そして何よりも西の魔界の言葉の聞き取りに慣れきっていないロチのために丁寧に話しているのも、恐怖心を打ち消すのには十分だった。
「アイアンサイド先生、初めまして。ロチです。これからよろしくお願いします。」
「ではロチさん、早速ですがここで話してしまいます。私は学年担当であると同時にホウキ実践の授業担当でもあります。そのためロチさんにはホウキに乗れるかどうか、確かめなくてはなりません。ですので突然ですが、校庭に行ってホウキに乗ってもらいます。」
アイアンサイドという教師は異邦人のロチにわかりやすく、丁寧な言葉で説明する。ロチはその言葉がスッと頭に入ってきたが、いきなりホウキに乗れとはどういうことなのか。頭に疑問の二文字しか浮かばないロチを連れ教師は校庭に向かっていった。
校庭に出ると後は早かった。教師は倉庫からシンプルなホウキ、もっと言えば西洋のホウキを取り出す。教師はロチに対し、これにまたがりある程度平行に進めるか、ホウキが勝手に動かないか見ると説明した。ロチはホウキで飛ぶということ自体想像もつかなかったが、やれと言われた以上はやるしかない。ロチは教師からホウキを受け取る。その瞬間、ロチの足は地面から離れ、手は体の重みをめいいっぱい感じ、胴体はただただ下方に引っ張られていった。ロチは何が起きたのか、自分が逆さなのかぶら下がっているのか、それとも振り回されているのか感じることができなくなっていった。景色は混ざり、頭の中は掻き回され、体は空中で振り回されていく。ロチは自分の身に何が起きているのかもわからず、とうとう手を離してしまった。途端、体は地面に向かい抗えることなく、落ちていく。あ、終わった、ロチはそう感じずにはいられなかった。確か昔、まだレツに薬を学んだばかりの頃、こんな感じに木から落ちたことがある。あの時、どうしただろうか。そんなことが走馬灯になってよぎっていく。ロチの眼下に、草が一本一本入ってくる。顔から校庭に落ちていくロチは咄嗟に目を瞑った。
「……大丈夫ですか。これは危険ですね。ロチさんは見学レポートとしましょう。」
目を瞑った先で、アイアンサイドの言葉がロチの耳に入った。ロチが恐る恐る目を開けると地面が眼下にあるものの、足先は浮き全体重が腹にかかっていた。ロチは一瞬何が起きたか理解できず、アイアンサイドを見上げる。アイアンサイドは吸血鬼の翼を広げ、右手に暴走ホウキ、左腕にロチを抱えていた。あぁ、私はアイアンサイド先生にキャッチされたんだなと、そう理解した。
「あそこまで振り回されたら混乱するでしょう。このまま保健室に行きましょう。」
そのままアイアンサイドによって保健室に連れて行かれたロチは、そのまま保健医に診られた。特に異常はなく、もし体が痛み出したらすぐに寮のメイドに連絡し高等科の医務室に行くようにと伝えたれた。アイアンサイドとは保健室の前で別れ、改めて連絡するとのことだった。ロチは初っ端から振り回され、ただただ混乱するだけだった。東の魔界ではこんなに振り回されることも混乱することもなかった。
「師匠……。」
ロチはポツリと呟くが、その言葉は薄暗い廊下の中に消えていった。
次は魔法陣学の教員のところに行く。中等科でも魔法陣学を学ぶらしく、それに関して話があるようだった。行く前にエリザに教えてもらった通りに進んだ。中等科の魔法陣学担当教師・ハーマン先生の教員部屋につきノックをする。扉が開かれると先程のアイアンサイドに比べると少し小柄な、少し気弱そうな男性が出てきた。
「君がロチくんか、私はハーマン。魔法陣学を教えている。ここだと長いから中に入りなさい。」
ロチを視界に入れたハーマンは微笑みながらロチを部屋に入れる。ロチの目には壁一面に貼られた魔法陣図や種類表、さまざまな教科書や本が入る。マゲイルの教員部屋よりも片付いており整然とされた印象を受けた。
「マゲイル先生よりも物少ないよね。私は教える方に全振りだからあまり研究してないんだ。」
ハーマンは笑いながらプリントの束を手に取る。束を机の上に置くとロチを椅子に座るよう促した。
「時間が遅くなっちゃうからすぐに説明するよ。何でか中等科の魔法陣学は前期生と後期生の一貫授業で、ロチくんは後期生からだから前期生の分も勉強しなきゃいけないんだ。だから最初の授業までにこの復習プリントをやってきて欲しい。」
どうやらハーマンはロチがマゲイルの直弟子であることを知っているようだった。直弟子だったら簡単だろう、そんなふうに言われている気がして、ロチは変な汗が出ていた。
「わかりました。やってきます。」
ロチがそういうと、ハーマンはプリントの束を袋に入れて渡す。部屋を出る時に無理はしないでねと言っていたものの、多分やってくるだろうという感じもする。プリントの重みを指に感じつつ、次の先生の元に向かった。
最後は錬金術の先生だった。これまでの先生とは違い教員部屋ではなく、錬金実験室で待ち合わせであった。薄暗く誰の気配も感じない廊下でロチの足音が反響する。錬金実験室は三階の端にあり、さらに奥には入れないように大きな扉に錠が掛かっていた。実験室の扉をノックすると、は〜いと明るく優しげな返事が返ってきた。扉が広くと、色白に青い目、波打った艶やかな黒髪を持った女性が出てきた。
「あら、あなたがロチさん?私はヒメル。さっ、中に入って。」
ヒメルと名乗る教師に促され入ると、そこには机の実験台が並び、壁には実験器具や何か暗記する要素の表、見たことのない植物や生き物の標本などどことなく博物誌の中に入ってきたかのような感覚を得ていった。実験台の一角には実験器具や密閉容器が並んでおり、その横の空きスペースに座る。そしてヒメルはプリントと羽ペンを取り出した。
「散らかっててごめんなさい。今授業の準備をしているの。私は生物錬金が専門なんだけど、中等科の錬金学全般を担当しているわ。今日はロチさんに三つの錬金術の授業のうちどれを選択するか決めてもらうわ。」
そう言われてプリントを見せてもらうと、各錬金術の説明が書かれていた。食物錬金、生物錬金、そして薬草錬金と並んでいる。マゲイルからは特に指示はなく魔法陣にも関係なさそうだったので、なんとなく薬草錬金に興味をそそられる。
「ヒメル先生、薬草錬金とは何をするのですか。」
「薬草錬金は錬金鍋で簡単に作れる薬草や薬の作り方を実際にやっていくものよ。この授業で一定上の成績を取れば、学校を卒業した後に資格取得の講習の受講資格を得られるわ。」
「じゃあ薬草錬金でお願いします。」
ロチはプリントの薬草錬金の欄に丸をして、ヒメルに渡す。ヒメルは了承し、最初の日程に関しては時間割提出し決定後にわかるとのことだった。
校舎を出ると空は魔界の夕暮れに染まっていた。魔法陣学の課題を下げ寮への帰路につく。課題の重さは指に食い込み、ロチの心にも食い込んでいく。食い込まれていくような内側を下げ寮にたどり着くと、共有スペースから二人の声が聞こえる。その声を聞いて少し食い込みが緩んでいく。
「あ、ロチ。ロチ宛てにも来てるわよ。」
なんのことか全く訳がわからなかった。エリザはさらりとロチの手から荷物をとり、共有スペースを誘っていく。共有スペースの中にはトビアが本や紙の束を広げている横で、大きな荷物がどっしりと構えていた。ティーテーブルやソファを横に寄せ、トビアは胡座をかき本一つ一つを点検しているようだった。
「あの大きな荷物がロチのものよ。多分中は教科書だと思うの。」
教科書といえばレツが持っていた本を自分で写した写本や手帳、そして薬草をよく取っていた山だった。あの大きな、胡座をかいているトビアと変わらない高さの箱に僅かな恐怖を感じつつも、近づいていく。その様子を見たトビアは少し体を傾けロチの道を開ける。ロチが持ち上げられる大きさではなかったため、引きずりながら空いているスペースまで移動する。箱を開けると、最初に目に入ったのは大きなマス目と細かい文字が書かれた書類だった。その書類を手に取ると、上には時間割届け、下には必修や選択と分類されている授業一覧がびっしり書かれていた。ロチはこれに覚えは無かったが、横から覗き込むエリザはすぐに何か理解したようだった。
「ロチ、これは時間割を先生に伝えるためのものよ。この学校では必修の他に自分で選べる授業があって、空いている時間に取りたい授業を取るってものなの。授業を選んでそれにも書いていくのよ。」
エリザの説明ですぐに理解できた。でも、薬草錬金以外の授業は何を取っていいのか、よくわからない。そもそも学校というもの自体、まだよくわかっていない。
「トビア、点検中に悪いんだけどロチの時間割組むの手伝ってくれない?トビアは色んな授業取ってるからわかるわよね?」
そう声をかけられたトビアは、珍しく本から顔を上げる。その顔はいつものように片方の目だけが萩色の瞳をはっきりと構え、それはロチを捉えている。その瞳に捉えられたロチはいまだに硬直するが、だいぶ慣れたような気がした。
「……仕方がない。どれだ、見せてみろ。」
まともにトビアの声を聞いたような気がする、ロチはそう思いながらトビアに書類を見せる。トビアはその書類を一通り読むと、端に寄せられたテーブルに置く。ロチもトビアについていき、その書類を見る。トビアはどこから出したか、ペンを持ち一つずつ差し始めた。
「ここのマス目には決まった科目が書いてある。これが必修だ。そして空いたコマに入れていくのが選択となる。君の場合魔界に来たばかりだから、種族のことや魔術の基礎的なもの、あとは変身術みたいな……面白そうなのが……良いと思う。」
トビアは途中から話しすぎたと言いたげな、そんななんともいえない様子になっていった。ロチはトビアのことをよく知らないが、ここまで教えてくれたら十分だった。
「トビア、ありがとう。ロチ、トビアの話から時間割を立てましょ。」
ロチがお礼を言おうとすると、トビアはスタスタと座っていた場所戻っていった。その微妙な距離では礼も言えず、ただ時間割を組んで行った。エリザに手伝ってもらいながらペンを走らせる。走らせていくうちに魔界の日は落ち、ジェーンが夕飯の知らせを伝えるのだった。
最初のコメントを投稿しよう!