魅惑の姫様

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「申し訳ございません! お怪我は御座いませんか?」  千代は相手を助け起こそうと手を差し伸べたが、相手はその手を取るどころか、千代に侮蔑の言葉を投げかけた。 「南蛮人が! 気安く触るな!」  千代が差し出した手を払い除けた男は、立ち上がるとギラつく目で千代を見据えた。突然投げられた悪意ある言葉に、千代は訳が分からず呆然と相手の顔を見つめていたが、やがて、あっと男の正体に思い至る。男は、以前も千代を南蛮人呼ばわりしていた、彼女と同じ年頃の町人だった。 「お前は、以前にも千代姫様に絡んできた輩だな? またも姫様を南蛮人などと、無礼にも程がある」  言葉を詰まらせている千代を見かねた太郎が千代を背に庇う様に立ち塞がり、男を睨みつける。男は一瞬怯んだ表情を見せたが、すぐに気を取り直すと周りに聞こえるようわざと声を張って言った。 「はっ! 何が姫様だ? 笑わせるな!  ただの拾われ子の癖に!」  男の罵声に太郎の眉根が寄る。 「な……!?  貴様!  もう一度言ってみろ!」  太郎が男へ詰め寄ろうと一歩踏み込んだとき、何かが足先に当たった。ガシャリと陶器の擦れる音に、太郎は慌てて下を見る。そこには風呂敷包みが一つ転がっていた。どうやら男が尻もちをついたときに落としたものらしい。 「あっ!? お奉行様へお納めする大切な陶器の杯が!」  男は慌ててしゃがみ込むと、地面に落ちていた風呂敷をばっと広げ、中身を(あらた)める。そして、大げさに抗議の声を上げた。 「あぁ、割れてる! ……お前たち、一体どうしてくれるんだっ!?」  千代は太郎の背後から、風呂敷の中身が見える位置まで移動する。見れば、そこには無残にも割れて砕けた陶器の欠片があった。 「お前たちのせいで割れたんだ! 商人は信用第一なんだぞ! どう責任を取ってくれるんだ!」  自身を商人だと言う男は、太郎と千代を睨みつけた。難癖をつけるその瞳は狂気を含んでいる。それでいてどこか胡散臭さを感じさせるものでもあった。 「この、南蛮人のせいで……! あぁ! どうしてくれようかっ!?」  男の幾分芝居がかった怒鳴り声に、通行人たちは巻き込まれたくないとばかりに見て見ぬふりを決め込み、そそくさとその場を離れていく。誰も太郎と千代を庇おうとはしない。  だが、そんな聴衆の目と耳が間違いなく自分たちに向けられている事を分かっている男は、にやりと気味の悪い笑みを浮かべると、さらに声と手振りを大きくする。 「なぁ! おい! どうしてくれるんだよ!」
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