格下の姫様

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 それから幾日かが過ぎた。  旗本の放蕩息子は何も見つけることが出来なかったのか、千代の見立て通り、あれ以来姿を見せることはなかった。千代の周りはすっかり静けさを取り戻し、再びのんびりとした日々を送っていた。  そんなある日のこと。  でっぷりとした腹を揺らしながら、男が騒がしく井上家へやって来た。旗本の吉岡家現当主である。面会の約束など無い。仮に会う約束があったとしても、気位の高い旗本の当主が格下の者の家にやって来るなど、通常では考えられないことだった。  突然屋敷へ現れた吉岡は、挨拶などもちろんするはずもなく、ズカズカと屋敷へ上がり込んで来た。井上家の一同は驚きつつも、その無礼な振る舞いを咎めることができない。相手は格上。それでなくても、既に興奮しているので下手に刺激をしてさらに騒がれては面倒である。誰もが伏し目がちに吉岡を迎え入れた。  千代は居間の片隅から、こっそりとその様子を覗き見る。襖の隙間から見える父の表情は厳しく、母の志乃も心配そうだ。  正道は、只ならぬ様子の吉岡を渋々客間へ通す。すると、吉岡は遠慮も何もなく上座にドカリと音を立てて座った。そんな無礼な振る舞いを咎めることなく、正道は深々と頭を下げる。 「これは吉岡様。本日は当家まで足を運んでいただき誠に有難う御座います。して、本日は何用でこちらへ?」  しかし、正道の礼にも何ら応える事なく、吉岡は顔を真っ赤にして唾を飛ばしながら、吠えた。 「一体どういう事だっ!」 「は?」  思わず間の抜けた声を出す正道を尻目に、吉岡は怒りに任せて机を拳で叩きつける。その勢いで茶が零れた。そんなことにも構わず、吉岡は鼻息荒く息巻く。 「(せがれ)が山で落馬したと、今朝、早馬で連絡が来た」  正道も志乃も事態が分からず困惑した顔を見合わせる。 「はぁ……。それはお気の毒に。大事ありませんでしたかな?」  正道がそう問いかけると、吉岡は益々興奮して唾を飛ばした。 「大事はないかだと!? 聞けば、あいつは貴様の娘に誑かされて、山へ出かけたそうではないか!」  正道はやっと事態を把握して、大きく目を見開いた。そして、慌てて問い返す。 「なんと! 御子息はまだお戻りになられていなかったのですか? 山で落馬とはまさか……」 「打ちどころが悪く、寝たきりになるやもしれぬ! 女の言う事など真に受けて、水やら何やらを取りに行ったせいで……。女と言うのは、お前のところの娘であろう? 娘を出せ!! 今すぐにだっ!」
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