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 一人称小説・三人称小説の言い方がある。 物語を主人公の立場で体験していくのが一人称小説。 私はこう思う。私はこう言う。私はこう動く。私が体験している物語だ。 主人公を物語の外から体験していくのが三人称小説。 彼はこう思った。彼はこう言った。彼はこう動いた。彼が体験した物語だ。  ざっくり、こんな認識だった。  しかし、知人からご教授頂いた中に、三人称人間視点と三人称神(作者)視点。三人称一視点と三人称多視点と言うワードがあった。  考察を進める前に、この二点を明確にしておく。  物語とは一人の主人公の行動によって、主人公自身の変化や社会の変化を、主人公を中心に書いたものであるとする。その中には回想録や他者のエピソードがショートストーリーとなって物語の内部に存在する。  主人公にとっては、時間が止まっても過去に遡行しても、経験値の積み重ねが生じる『現在進行形』の世界である。  さて、三人称小説の話をする前に、一人称小説を明確にしておく必要がある。  一人称小説は、冒頭の通り主人公の立場の一視点で読者が物語を体験していくものである。 それなので、文字を読み進める事で時間が進み、主人公が周りから受けた事に対して感じ、思い、行動をするのである。それ故に主人公が知り得ない事は物語の中に『文字化』される事はないのである。次のページに未来があり、最後のページに結末があっても主人公には知る由もない未来の事なのである。  また、一人称小説で食事のシーンを表現すると、『食事をしている』であり、これから『食事をする』ではなく、もう『食事をした』でもないのである。主人公の行動は全て『現在進行形』で、『食事をした』過去の出来事は報告や回想などでのみ使われる表現となる。  この時の『現在進行形』の世界は、時代設定が過去でも未来でも異世界でも良いのだが、読者は主人公を通してしか世界を知る事が出来ないのである。  つまり一人称小説とは読者自身が物語の主人公のリアル物語(人生)と同じ構成であり読者は一人称小説を理解しやすいのである。  まとめると、一人称小説は、主人公にとって『現在進行形』の世界であり、主人公が知り得ないものは存在しない世界である。『一人称一視点人間視点現在進行形』で書かれた世界であり一人称小説は人生と同じ構成で書かれている。  三人称小説は、主人公を三人称で呼ぶ世界である。物語の外から主人公を中心に読者が物語の世界を体験していくものである。  三人称なので物語の中に存在せず当事者ではないのである。主人公ではなく周りを囲む登場人物でもない。第三者の視点となると物語の外に出るしかない、のである。  物語の外の視点には二種類ある。一つは物理的な外の世界。もう一つは時空的な外の世界である。  物理的な外の世界とは、スポーツなどの観客席をイメージすると良い。『物語の進行に干渉できない視点』である。他にも喫茶店から窓の外の出来事を眺めている。車内の向かいの席の痴話げんかを見ている。色々な状況があり得るが物語自体は『現在進行形』であり、主人公も観察者も次の瞬間に何が起こるかは分からないのである。しかし、主人公と観察者では持っている情報に違いがある。三人称小説は主人公の外に視点があるので観察者は主人公の内心は分からないのである。逆に、観察者は主人公が知り得ない情報を持っている場合がある。例えば、相手選手の経歴やエピソード。痴話げんかであれば「こいつ、昨日別の女とホテルに入ったのを見たww」などの過去情報である。これが、三人称人間視点である。  もう一つの時空的な外の世界とは、物語の進行に干渉できない物理的な外の世界は同じだが時間の外の世界である。時間の外の世界とは過去も未来も自由に扱える世界である。  時間を自由に扱える世界はイメージし辛いが、『ピッチャーはこの後、人生最大の後悔をするのであった』みたいなナレーション的な一文がそれにあたる。未来を知っているからこそ言えるからだ。過去の出来事であれば記録として人間は入手できるが未来の情報を入手できるのは神(作者)だけである。つまり三人称神(作者)視点である。  三人称小説には別の分類もある。三人称一視点と三人称多視点である。  三人称一視点は、ほぼ一人称小説と同じとなるが、『私はこう思っている』が『彼はこう思っている』にはならないのである。先ほどの説明の通り読者の視点となる観察者は主人公の外にあるので、現在の主人公の内心は分からないのである。知り得るのは『彼はこう思っていた』過去の出来事だけである。人間視点且つ一視点で書く場合は捜査官、新聞記者、当該出来事の外にいる友人などの人間視点で主人公の内心は『過去進行形』の形を取るしかない、のである。しかし、神(作者)であれば彼の内心をリアルタイムで知り得るので『彼はこう思っている』と『現在進行形』でも書く事が出来るのである。一視点のポイントは主人公の外にあるので内心を書くには制約が生じる事。また、主人公に視点があるように周りの登場人物を書く事である。  もう一つの三人称多視点は、主人公以外の心の声が聞こえる世界である。『登場人物1はこう思っている』、『登場人物2はこう思っている』と全ての登場人物の内心を知り得るのである。それが出来るのは神(作者)だけなのである。過去の出来事であれば『登場人物1はこう思っていた』、『登場人物2はこう思っていた』と人間視点で書く事も出来る。  三人称小説をまとめると、 『三人称一視点人間視点現在進行形』実況中継など。但し内心は書けない。 『三人称一視点人間視点過去進行形』事件簿、回想録など。 『三人称一視点神視点現在進行形』制約なし。 『三人称一視点神視点過去進行形』制約なし。 『三人称多視点人間視点現在進行形』存在しない。 『三人称多視点人間視点過去進行形』事件簿、回想録などの群像劇。 『三人称多視点神視点現在進行形』制約なし。 『三人称多視点神視点過去進行形』制約なし。 の様になり、読者は主人公の外から且つ物語の外からの視点となる事で、一人称小説に比べると格段に自由な視点で物語の世界を体験する事が出来るのである。その反面、読者は自身の立ち位置を最初に把握しないと物語の進行について行けなくなる可能性が生じるのである。  三人称小説は自由度の高さ故に、書き手が暴走や読み手が付いて来られなくなる問題が生じる時がある。  例えば回想録の場合、『今の私が語る、あの時の私の物語』になる。あの時の私の言動は『現在進行形』でもナレーションの部分は過去形で表す必要がある。読者に『今の私』の部分と、『あの時の私』の部分を明示する必要があるが小説の場合は『ここから回想シーン』などと書く事はしないので見落とす場合があり、そこから道に迷う場合がある。しかし、映像作品の場合はセピア色にする事で簡単に線引きが出来て問題が解決するのである。  多視点の場合でも、カメラを当該人物に向ければ良いだけである。  カメラを使う事で『三人称多視点神視点現在進行形』の作品を読者の脱落なく描く事が出来るのである。映像は凄く便利である。  最後に、三人称の良さを活かしつつ作者にも読者にも分かりやすい解決策の一つとして『多主人公一人称一視点現在進行形』がある。オムニバス形式である。これにより『三人称多視点神視点現在進行形』とほぼ同じ効果を生み出す事が出来る。  小説の世界に禁忌は存在しない。読者がついて来られる工夫があれば良いのである。つまり作者の技量の問題である。読者が付いて来られる工夫とは究極的には読者と作者の視点が完全一致する事であると考えている。読者が作者に歩み寄るのではなく、作者が読者に歩み寄るのである。それを成し得た作者はいないと思うが目指す場所はそこである。   了
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