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今のわたしは
ああ、身体が重いわ。いま私、大岩に身体をはりつけられているよう。
目先には長方形のカーテンレールに、虫食い模様の天井。
ふんわり漂う香りはバラの花…?
「お母さんっ……私、志穂よ。分かる!?」
私の手を取り、ぎゅっと握る温かい手。
その両の手から、だんだんと伝い広がる熱で、私の心は解きほぐれて、
「遅くなってごめん…、側にいられなくてごめんねっ…」
ぽたりぽたり零れ落ちる涙で、私のハリのない渇いた手は潤いに満ちていく──。
……そうだった。思い出したわ。
私は誠と夫婦になって、志穂を授かって…。43で誠と死に別れ、そして70歳、今ここ、病院のベッドで──
私とうとう、この世界に別れを告げる時が来たのね。
「あああ……ああ、あ──」
思うように声が出ない。力を振り絞っているのに、まともに発音できない。
“ありがとう”、“来てくれて嬉しい”、“愛してる”……伝えたい思いは湧いて溢れるのに。
「お母さん。誰より深い愛情をずっとありがとう…私、お母さんの子に生まれてきてすごく幸せよ!」
ああ。もう悔いはない……。
この瞬間、憑き物が落ちたような心持ちで、すぅっと顔を上げてみた。
すると視界の先は自宅の玄関で、小学生の志穂が佇んでいる。
またここに戻ってきてしまった。どうして…?
ふと真横に首を回すと、壁の鏡に映る私は、目尻の皺に長年の疲れを馴染ませた、こけた頬した老女だった。これが現実の私。
「私、同い年の人たちと比べて老けてるのよね…」
「お母さんはいつも私のために忙しくしてたから」
志穂は天使のように微笑んだら、老女の私を優しい声でなだめた。
この子は私の思い出の中の志穂。可愛らしい、おしゃまな小学生の頃の。
でも今は現在の彼女と話がしたい。
私を看取るため病室に駆け込んだ、四十代の志穂と。
そう強く願っても、私には自分の身体を操る力が残されていない。
声だけは聴こえても──。
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