chapter2 『実験』の始まり

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 私を混乱させたと思ったのか、ナオヤはまた、謝った。 「つまり……僕は昨日、協力しようと言いましたが、非常に退屈な時間を過ごさせてしまうかも知れない。それを申し訳なく思います」 「……え?」  気にするところ、そこ? 思わずそれまで思っていたことを全部忘れて、ぽかんとしてしまった。 「……というか、この前の約束って、まだ有効だったんだ……」 「? 破棄した覚えはありませんが」 「それを言うなら、契約した覚えもないけど」 「いわゆる口約束も立派な契約成立に値するものです。よって……」 「わ、わかった。あの時の約束は、全然現役で有効ってことね」   尚也の記憶だとか他人への配慮とか感情表現とかはまだまだなのに、こういう知識は豊富らしい。言いたくないけれど、『ラーニング』というのは方向性を間違っていたんじゃないのか?  なんだか色々と、諦めた方が良さそうだ。  この人は、思っていたような怪しい人じゃないらしい。奇妙ではあるけれど。  真面目で誠実で不器用なほどに真っ直ぐで、そして尚也くんとは少し違う優しさを持った人だ。  まったく表に出せないけれど、尚也になろうと足掻いている。 (私と、同じ……でも、もっと深刻なのかも)  私は箸袋から、箸を一膳取り出して、ナオヤに差し出した。 「はい。じゃあ、改めて契約成立ということで、ご飯食べようか」 「どうも」  二人揃って手を合わせて、ぎゅうぎゅうに詰まったおかずに箸を伸ばす。 「美味しいですね」 「うん。お母さん、料理上手なんだ」  もっと早く、食べたかった。そうしたら、愛と一緒に笑い合えたのに。 「何故、泣いているんですか……あ、すみません」  ナオヤがそう言って、初めて自分が泣いているって気付いた。ナオヤはというと、また考えなしに口走ってしまったと思ったらしい。口をつぐんで、おずおずとハンカチを差し出した。 「……ありがと」  そう言うと、ナオヤはまた別のおかずに箸を伸ばした。美味しいと、繰り返していた。  同じテーブルを囲んで、同じ料理を美味しいと言えることが、こんなにも嬉しいなんて、知らなかった。   ――ね、愛……知らなかったね。    心の中でそう呟くと、不思議と隣で誰かが頷いたような気がした。
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