chapter2 『実験』の始まり

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 目的のお店は学校の近くにあって、ゆっくり歩いてもそれほど時間はかからなかった。混み合う時間帯じゃなかったのか、すぐに店に入れたのは運が良かった。  いざ入ってみると、なんだか緊張した。今までは店の看板を見ても、今は帰宅途中だからと目を逸らせていたから。そう、お母さんに『厳命』されていた。  本当に来て良かったんだろうか、なんて今更思ってしまっている。だけどナオヤくんは私の正面で悠々とメニュー端末を見ている。 「あった。これが噂の激辛料理ですね」 『伝説の麻婆豆腐』……メニュー画面にはそう書いてある。そしてわざわざ他の料理とは違う『激辛』という文字が躍っていた。  ナオヤくんは迷いなくそのメニューを選択したかと思うと、私に向けてメニュー端末を見せた。 「ここ……親指を押してください」 「なんで? 拇印?」 「いえ、健康に関係するので血圧と脈拍を測定するそうです」 「はぁ……さすが激辛料理……って、私が測るの? てことは、私が食べるの?」 「……え? 激辛料理の項目を書いたのはあなたでしたよね?」  言われてみれば、確かに。だけど二人のリストだって言うから、どれも二等分するものだとばかり思っていた……。 「僕はここまで刺激の強い料理は食べられません。それに脈拍も、僕が測るとオーダー拒否になる可能性があります」  最後の一言に何かひっかかりを感じたけれども、今、重要なのはそこじゃない。  ナオヤくんは私に親指を催促するばかりだ。逃げられそうにない。  ここは、腹を括るしかない。そう思って、私はしっかりと親指を押し、血圧などの数字と共に『Accepted(承りました)!』の文字が浮かぶのを確認した。  それから、料理が届くまで時間はかからなかった。つまりは、心の準備をする時間も短かったわけだ。  配膳ロボットはテーブルの真ん中に湯気の上るお皿を静かに置いた。真っ白なお皿に、燃え立つような真っ赤な麻婆豆腐がよく映える。色だけ見れば、純白の陶磁器の花瓶に生けた、大輪のバラのよう。もっとも、バラと同じく、だいぶ尖った部分があるみたいだけど。 「さあ、どうぞ」  ナオヤくんは恭しくレンゲを差し出してきた。奇妙なレディーファーストに、ほんのちょっと眉をしかめながら、私はそのレンゲを受け取った。その後、ナオヤくんがご丁寧にお皿の中をきれいにかき混ぜて均一にしてくれた。  この真っ赤な料理を口に入れなければいけない。そう思うと、手が震えた。  だけど注文してしまったし、何より目の前のナオヤくんの視線が突き刺さる。いつ食べるんだろう、どんな顔をするんだろう、食べたらなんて言うんだろう……そう考えているのがありありと見て取れる視線だ。  ごくり、とつばを飲み込む。そして、レンゲを握る手にぐっと力を込め、思い切って真っ赤な海へと真っ白なれんげを鎮めた。  いざ、実食――!
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