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慈悲と裁き
翌日、その日私が看護を受け持つことになっている子ども達の採血をおこなっている時でした。ナタリアが緊急事態だと言って私を呼びに来ました。普段よりいくばくか焦りの色を浮かべる彼女について行くと、辿り着いたそこはエレイザという少女の病室でした。
エレイザは静かに眠っていました。茶色くて長い髪が白いベッドに広がっていて、少女特有の肌理の細かい頬に彼女の長い睫毛が下り、薄い唇は柔らかく結ばれていました。美しい彼女が眠るその姿は、ここが病室でなければ一枚の絵画の様相といえたかもしれません。
「エレイザが、亡くなりました」
部屋にはクロエと修道院長も集まっていて、五十代半ばの修道院長が私に静かに告げました。けれど、ここにいる子どもが亡くなるのは珍しいことではありません。それなのに、修道院長じきじきに看護師達を呼び集めるのは異常なことでした。
彼女が言うことには、エレイザの点滴には、本来一緒に混ぜてはいけない薬品が混ざっていたそうです。昨晩点滴の入れ替えをしたクロエはもちろんそんなことはしていないと言ったそうです。
「そうなってくると、誰かが故意にエレイザを死に至らしめた可能性があります。今ここにいるあなた達とは限りませんが、自分だと罪を認める者はいますか」
修道院長の問いに、誰も首を縦に振りませんでした。誰もがみな、うつむいて伏し目がちな表情を浮かべています。
私たちの様子を見た修道院長は一度、頷きました。
「この修道院に居る人間で薬の知識が有るのがあなた達だったので、ひとまず話を聞きました。ですが外部の人間等の可能性もありますので、このまま様子を見ます。・・・お分かりとは思いますが、殺人は限りなく神に背く許されない行為です。もし、この中に罪ある者がいるならば、心をあらためてすぐに申し出てください」
そして修道院長は去って行きました。私たちにしても私語は禁じられていましたし、目の前の二人が人を殺しているのかもしれないのです。なので、めいめいが顔を伏せたまま病室を出て行きました。私が病室を出る際ベッドを振り返ると、哀れなエレイザは変わらず穏やかに眠っているように見えました。私にはそれがせめてもの救いに思えました。
二日後、第二の殺人が起きました。
ハンネは悪性の腫瘍を体内に抱えていた少女でした。それでも他の子ども達同様朗らかに笑う彼女を愛おしいと思っていました。そんな彼女が次に命を落としました。
死亡時刻はエレイザと同様夜中で、翌朝に変わり果てた姿で発見されました。エレイザはさほど苦しまず亡くなったと思われ、死に顔も穏やかでしたが、ハンネは何者かに紐のようなもので首を絞められたとのことで、顔には苦しみが貼り付いたまま、ベッドには糞尿が垂れていました。先日同様病室に呼び出された私はハンネのその姿を目にしてすぐ胸の前で両手を握りしめ祈りました。
エレイザに引き続き昨晩のハンネの看護担当もクロエだった為、彼女は決して自分ではないと強く主張しました。私たち修道女は常に静かに話す習慣がありましたが、さすがに彼女の顔色と声には焦りが混ざっていました。
おぞましい事件が続いたことにより、修道院長から今後の方針が通達されました。
看護等、患者の部屋に入る時は決して一人で入らず、二人一組で入ること。また、昼夜を通して看護の知識をもたない雑用係の修道女たちが病室部を巡回することとなりました。
私達は不穏な気配を心に持ちながら過ごしていましたが、当の子どもたちは何も気づかないままでした。看護を複数でおこなうようになったことに対しても、「お二人で看てくださるようになったのですね」と言うだけでしたし、以前から雑用係の修道女が病室近くを通ることはありましたので、不審には思わなかったようです。大人であればさすがに様子の違いに気づくのでしょうが、子どもたちは自分が命の危険に晒されているとも知らず、相変わらず穏やかに過ごしていたのです。
それから三日後、私は仕事の合間時間に、自室で自分の修道服の袖口のほつれを直していました。その日は雷雨に見舞われていて、空は黒に近い灰色に染まり、大粒の雨の音が院内に居ても聞こえてきました。その雨の音を聞きながら、私は針を持った手を動かしていました。
「カターシャ」
私を呼ぶ声が、淡々と動かしていた私の手を止めました。入口を振り返ると、そこには静謐に、しかしすらりと立つナタリアの姿がありました。
「どうしましたか。今日の食事のことで何かありましたか」
その日炊事当番だった私はそのように呼び掛けました。私の問いに、ナタリアは静かに首を振りました。
「ジュスティが、殺されました」
私はナタリアを見つめました。ジュスティといえば、私の金髪を綺麗だと言ってくれた、心臓の悪いあの少女です。私はナタリアから視線を外すと目を伏せ、神妙な顔をしました。
「神は、あの子をお救いにならなかったのですね」
ええ、とナタリアが頷きました。彼女は自分の修道服を両手で握り締めていました。その手が、静かな口調と裏腹に震えていました。
「私が、見つけました。図書室で、左胸に刃物を突き立てられていました。まだ誰にも報告していません」
私は顔を上げ、再びナタリアを見つめました。
「なぜ、私に?まず修道院長に報告しないのですか?」
目の前の同僚はひゅっと息を吐きました。
「今日は、クロエが図書室の職務の担当でした」
ナタリアの顔色が悪くなっていました。彼女は手だけでなく、声まで震えはじめていました。シスターにはあるまじきことでした。
「そして先程、図書室に入っていくあなたを見ました」
私はゆっくりと瞬きをしました。しかし表情に変化はありませんでした。
「先日の当番の時に、やり残したことを思い出しましたので」
私が静かに呟くと、ナタリアの顔は怒りに染まりました。その姿はもはやシスターと呼べるものではありませんでした。
「あなたが図書室を出てすぐ、私は図書室に入りました。当番でもないのに、何の用事があったのだろうかと。・・・そうしたら、そこにジュスティの遺体があったのです!あの子が既にそこに居ると知っていたら、あなたがそこで凶行に及ぶと分かっていたら、すぐに止めにいったものを!私は・・・・・・!」
そこで彼女は一旦言葉を飲み込むように、喉を動かしました。感情的に話すナタリアを見て、そこで初めて私は彼女の性格を知りました。
「・・・クロエが、最初の二人を殺していたはずはありません。自分が看護担当の時に犯行に及ぶなんて、愚かなことをするはずがありませんから。・・・だから私は最初から、あなたを疑っていました。外部の人間の可能性もありましたけど、エレイザへの犯行で犯人に医学の知識がある事が露呈して以降、ハンネもジュスティも一般人の犯行に見せかけるような殺し方をしていましたから。・・・そうなると、手を下したのは私たち三人の中の誰かしかいないのです」
私の顔色は変わりませんでした。唯一変化があったとすれば、瞳がぼんやりと曇ったことくらいでしょうか。そんな私を見て狼狽したナタリアは更に詰問してきました。
「なぜ、このようなことを・・・!?あの子達は何の罪も無い哀れな子達なのに」
曇った目をそのままに、私はナタリアへ顔を向けました。
「だから、ですよ」
その返答に、ナタリアは困惑して私を見つめました。
「私は、ここに来ては去って行く罪無き子ども達に心を痛めていました。彼女らが自分の運命を静かに受け入れ、微笑うのに心を痛めていました。もうそんな子達が増えないようにと何度も神に祈りましたけれど、状況は変わりませんでした。無力な自分が、とてもいやでした。もう彼女らが苦しむ姿は見たくありませんでした。ですから、最終的に死んでしまうのであれば、早いうちに、少しでもあの子達が苦しむ時間を短くしてあげたいと思ったのです。神が彼女らを救わないのであれば、私が代わりに苦しみから解き放ってあげようと思いました」
私の告白を聞いたナタリアは信じられないといった表情で目を開き、わなわなと震えました。
「そんな・・・そんなものは、あなたの傲慢です。神の代わりですって・・・?そんなの、おこがましいにも程があります・・・!恥を知りなさい・・・!」
無表情で、無感動にその言葉を聞いていた私を見て、ナタリアの怒りは増えていくようでした。
「あなたは、先ほどあなたが手にかけたジュスティが誰だか知っていたのですか!?・・・あの子が、あの子が私の妹だということは知っていたのですか!?」
私は顔色を変えず、頷きました。
「ええ、知っていましたよ」
「ですから早めにあなたたち二人を苦しみから解き放ってさしあげようと思って、まだ死期は近くありませんでしたけど、優先的に天国へ送ったのです。心臓を悪くしていましたから、その心臓を破壊してさしあげました」
ナタリアの顔が激しく歪むのがわかりました。鬼の形相といってもおかしくない目つきになった彼女は、どこに持っていたのか血のついた包丁を振りかざしました。きっと私がジュスティの心臓に突き立てた包丁だろうと思いました。
そして彼女は「地獄に落ちろ、この悪魔!!」という言葉と共に、私の左胸にそれを振り下ろしました。
痛みとともに、自分が倒れていくのをスローモーションに感じました。その倒れていくさなか、私はこのように思いました。
「ああ、何で彼女はこんなにも怒っているのでしょうか・・・?」
私が最後に見たのは、部屋に飾ってある、自分で破壊した金色の十字架でした。
終
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