11 壁とスマートフォン

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「石田!」  雫が何か言いかけたところで、別の同級生に名前を呼ばれた。教室の開いたスライドドアのところに立っている男子生徒が『こっち』とでもいうように手を振っている。顔は陰になっているけれど、スカートが見える。それが誰なのか、言われなくても燈には分かった。そろそろ来る頃だと思っていたからだ。 「彼女。来てるぞ~」  彼女。という言葉に、一瞬顔が引きつっているのが自分でも分かる。 「彼女じゃねーし……」  ぼそり。と、呟いて、燈は立ち上がった。もちろん、燈はどなたともお付き合いしているつもりはない。好きな人はいるけれど、それが燈を訪ねてきた人物でないことだけは確かだ。 「燈ちゃん。寝てていーよ。私、相手しとくし」  ため息のような息を吐く燈を手で制して、雫が言った。 「もうすぐスレイヤー試験だし、メンタル整えとかなきゃ」  何も考えていないようでいて、雫はメンバーの感情の起伏にいち早く気付く。『やさしい』という一言で片付けるには、敏感すぎるほどだ。だから、燈はそんな雫の心配で初めて、自分が参っているのだと知ることすらあった。 「……さんきゅ」  燈は外見も、性格も、家柄も自慢できる程度にはいい。女性にも男性にも好意を寄せられることは珍しくはない。燈自身も人付き合いは好きだ。けれど、いや、だからこそ。自分に好意を寄せる相手に自分は好意を持っていないことを伝えるのは苦手だった。好意を寄せてくれる相手を傷つけたくなくて、言葉を濁しているうちに勘違いされて粘着されたこともあるし、余計に酷いと散々に罵倒されたこともある。  今回のことも、きっと、仲間たちは半分想像がついていたのだろう。だから、宙は最初から茉優に冷たく当たっていたし、鼎も反対していたのだ。  それでも、燈は自分の意見を通した。  だから、雫には迷惑はかけたくなかった。 「でも。自分で……」 「燈先輩!」  突然。腕をつかまれた。雫と燈の間に身体を割り込ませるように、茉優が駆け込んできたのだ。 「もう。どうして呼んだらすぐに来てくれないんですか?」  つかんだ腕をグイ。と引き寄せて、身体を密着させて、頬を膨らませ、上目遣いで見上げてくる。こんなふうに休み時間や放課後教室を訪ねてくるから、燈のクラスでは茉優が燈の彼女なのだと噂になっていた。  最初は燈も否定していた。しかし、茉優の方は燈の彼女なのかと聞かれても明確な否定はしない。それどころか、だんだん茉優がクラスにやってくる頻度が上がり、そのたびに密着度が上がっていくと、否定しても『またまた』とか、『照れるなよ』とか言われ、そのうち面倒になって否定するのをやめた。  ただ、だからと言って、彼女だと思われるのは正直勘弁してほしい。もしも、万が一、燈が思いを寄せる相手の耳にそんな噂が届いたらと思うと気が滅入る。ただでさえ、その人物は自分をそんな目で見てはくれていないのに、とどめを刺されたくはなかった。 「いかなくても、小林ちゃんの方から来るじゃん」  揶揄うように雫は言う。嫌味なのかもしれない。と、燈は思う。ただ、燈は好きな人がいることを翡翠にしか話していないから、雫は何も知らないはずだ。  それでも、もしかしたら、雫は気付いていて、茉優に釘を刺してくれているのではないだろうかと思えるときがある。あまりにタイミングがいいからだ。そのくせ、その笑顔はまるで何も他意等ございません。とでもいうような笑顔だから、本当に何も考えていないんじゃないかとも思えてくる。
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