愛着障害と家族(4)

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愛着障害と家族(4)

私の両親、パパは山梨県の出身でママは栃木県の出身です。 パパの実家を山梨、ママの実家を栃木と呼ぶ事にしますね。 山梨には先に従兄弟が産まれていたのですが、栃木で私は初孫で、しかも内孫です。 (内孫というのは娘の孫の事を指します。) ママが私の妊娠した時の栃木の歓びようは、もうお祭り状態だったらしいです。 栃木ではじぃじ(母方の祖父)が一代で築いた会社を経営してまして、当時ちょっと裕福だったんですよね。 (普通の中小企業です!) なので産まれる前からベビー服だとかベビー用品だとか沢山買ってくれて、早くお腹から出てきてくれないかなーなんて皆んなで楽しみにしてくれてたみたいなんですね。 山梨では、おじいちゃん(父方の祖父)やおばあちゃん(父方の祖母)が私を可愛がってくれました。 山梨には2個上の従兄弟のお兄ちゃんが、先に産まれていました。 おじいちゃんの家の敷地にある二階建ての家に、私は住む事になるはずでした。 パパもこの頃、山梨で仕事をしていてママとパパは山梨で結婚し生活をしていました。 ママは里帰り出産をする為に、栃木に帰って私を産みました。 そうして、満を持して私はオギャーと栃木で産まれます。 栃木ではそもそもママが3姉妹の次女で、結婚してたのも当時ママだけでしたので、女性の割合が高く皆んな母性が強くて愛情深い家族でした。 私は女の子だったのもあって、栃木で尋常じゃないレベルで愛されるんですよね。 多分これを分かるのは、栃木の従姉妹や弟だと思います。 そして栃木の家族の中で異常レベルの愛情と執着を向けていたのは、ばぁば(母方の祖母)です。 この話をする前に先に伝えておきたい事があります。 私は誰の事も恨んでないし、本気で誰も悪くないと思ってます。 ただ寂しさだったり、孤独というものは、そんなに簡単に消えるものでもなかったという話なんです。 話を元に戻しますね。 私は産まれてから3歳まで、栃木と山梨を行ったり来たりする生活になり、栃木のママの実家に居ることが多かったそうです。 私が産まれてから栃木に長い事居たので、パパは顔を見る為に山梨と栃木を往復する事となりました。 仕事が終わった後、栃木まで私に会いに来て抱っこして、とんぼ返りで山梨に帰っていったというのを、最近聞きました。 知っていますか? この当時は圏央道がなくて、東北道から一回東京に出て中央道で山梨に帰るんです。 今よりも渋滞や距離もあります。 私はこの長い往復の道のりが、パパの私のへの愛情だと今は思っています。 そんなパパの事情もあったんですが、私の事を抱いて 「俺の顔分かるかな~。」 なんていって抱っこしてるパパから、奪うように面倒見てたのがばぁばです。 「私がめいをみるから、お風呂とかご飯とか食べちゃいなね。」 と言って。 とにかく私を独占したかったようだと、話を聞きました。 そしてほぼの子育てをばぁばがしてしまったんですよね。 最近ママと話した際に言ってたのは、 「当時めいをばぁばに取られると思ってたけど、ばぁばが怖くて言えなかったんだよね。」 と言っていました。 しかしばぁばは愛情はとても深い反面、自分の欲望に素直な人です。 ばぁばが子育てしてしまっていたのに、突然のパチンコブームでママにめいの事を預けて夜遊び行くようになるんですよね。 「あんたが母親なんだから、あんたが面倒見るんだよ。」 と言って。 そりゃあママも突然1人にされて、困るし不安になりますよね。 そんなこんなで、私が3歳になる歳に弟が産まれます。 ママは里帰り出産で弟を産みましたが、その間私はばぁばに預けられていました。 ママと弟は山梨に帰りました。 私は栃木でばぁば達と3ヶ月から半年くらい、親元を離れ栃木で生活してました。 私を囲って抱え込むようにしていたばぁばを見兼ねた、じぃじは親元から離れて暮らす危うさを感じとったようです。 そして私を山梨に返す事になりました。 迎えに来てくれたパパとママと弟で車で山梨に帰るのですが、その間私は東北道から中央道までずっと 「ばぁば。ばぁば。」 「おうちに帰りたい。」 と泣きっぱなしだったそうです。 おうちに帰りたいは私の子供の時の口癖でした。 多分私はどこが自分のお家だか、分からなくなってしまっていたのですよね。 ママはめいの事よしよしする事が出来なかったと謝ってくれたし。 むっちゃんからはじぃじ(母方の祖父)が 「ごめんな。それでもばぁばを恨まないでやってくれ。」 と言っていると伝えてくれました。 私はばぁばの事も両親の事も恨む気持ちは全くないです。 ばぁばは私が帰ると泣いてしまい、ママに次はいつ栃木に来るんだと電話してたそうです。 ママもパパも、今の今まで愛情かけて育ててくれました。 だから誰も悪くないんです。 私は私が皆んなに愛されて、色んな人の手で育った事を理解しています。 私の事皆んな大好きすぎない?!って思う方が私は嬉しいです。 愛着障害には様々なパターンがあるのですが、私の場合は養育者となる人物が複数人いて、誰が誰だか分からなくなってしまった事に起因しています。 29歳まで分からなかったし、覚えていなかったからこそ、心の中にしまい込んで生きてきました。 親と死別してるとか、ネグレクトや虐待されたとか、全然そんな事ないです。 だからずっと不思議でした。 弟と差別されてるわけでもないけど、自分は親に甘えきる事が出来ずにいました。 何で弟だけに優しいんだろうなって漠然と思春期の時に思っていたのを思い出しました。 私の時間は多分この乳幼児期で止まっていたんですよね。 そこから自分が歳を重ねるにつれて寂しさや不安が大きくなっていきました。 人に対して信用できなくなってしまい、常に人に嫌われてないか心配するようなったり。 だから友達でも恋人でも、この人には心許しても大丈夫だなと思うと依存してしまうんですよね。 距離感がだんだんおかしくなっていってしまうのは、根本的に自分の事を理解できずに自分を肯定する事が出来なかったからだと思います。 人間の防衛本能で、忘れたい程辛い記憶って思い出せなくさせるんですよね。 感覚的な話になるんですけど、自分の心の中にはダンボールが沢山あって、嫌だった事、寂しかった事、間違えてしまった事、そういう記憶や感情に蓋をするんです。 思い出したくない事ほど、ガムテープでぐるぐる巻きにしてあって、開けれないようになってるんです。 でも記憶や感情って人間を形成する一つの要素ですよね。 だからダンボールが増えていくたびに自分の事が分からなくなっていくし、思い出せなくなるんです。 私は離婚をした時に、そのダンボールがいっぱい開いてしまって、良い事も悪い事もフラッシュバックしました。 旦那以外の人とも揉めててる中での、フラッシュバックだったので余計に精神を病みました。 それでも色んな人に迷惑かけてしまったけど、私は人の縁に救われて今日も生きています。 ずっと孤独で寂しいって思ってた。 人を信じれなかった。 すごく怖かった。 でも自分を信じる事が出来ると、自然と怖くなくなっていきました。 その間すごい暴走しちゃいましたけど!笑 むっちゃん(母方の叔母)には、エヴァゲリオンの初号機の暴走みたいって言われました!笑 自分を信じる事って、簡単に言うと自己肯定感を高くする事だと思うんです。 自己を肯定する為に必要な事って十人十色だと、私は思います。 私の場合は自分の中のダンボールを開ける事でした。 この本を読んでいるあなたには何が必要ですか? もしこの本を読んで、あなたにとって必要な事が見つけられたら私はとっても嬉しいです! 自分を信じる事、自分が好きな自分で在れる事が出来れば、人生で辛くて苦しくて痛い事があっても、生きてさえいればまた歩けます。 死んじゃったら何にも出来ません。 だからね。 死なないで欲しいな。 生きてるのってすごい事だと、私は思うから、、、。 今人生をつまらなく感じてる人達も、自分の新しい一面を発見したり、これから楽しく生きて最後に良い人生だったなって思えるようなお手伝いが私にできれば嬉しいです。 北斗の拳でラオウが最後に言ってますけど 我が生涯に一片の悔いなし これがいいと私は思います。 転んでも間違えてもいいから、後悔しないように生きていきたいです。
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