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「橘。今度の打ち合わせで使う資料はもうできたか?」 「はい、きっちり六部用意してあります。あと、この前頼まれてた参加者リストのゲーム当日の在宅時間も調べてデータ送ってあります」 「その日は道端で攫うのは人目につきすぎるからな。誘拐班には参加者の自宅前で待機させとけ」 「ラジャー!」  それからようやく仕事の目処がつき、俺が一服しようと席を立ったところで橘からこんな質問が飛んできた。 「先輩ってゲームの参加者は前科や非行歴のある人だけを集めてますよね?」  唐突に聞かれて、俺は少し面食らう。 「よく、分かったな」 「伊達に先輩の後輩をしてませんから」  橘は椅子にふんぞり返って得意げに胸を張る。 「でも先輩がデスゲーム会社に入った本当の理由だけは未だに分かんないんですー」 「バカ、まだそんなこと考えてたのか。お前も入社して一年経つ。これから色んな仕事を覚えてくんだから早くそのことは忘れろ」 「えー、いいじゃないですか。どうせ仕事なんてもうなくなるんですから」 「ん? それは一体……」 「つまり、こういうことです」  橘はいつの間にか手にしていたリモコンのボタンをポチッと押す。その瞬間、警告音が鳴り響き、フロアのシャッターが勢いよく閉まったかと思えば、通気口からガスのようなものが漏れ出してくる。さらに壁の一部が観音扉のように開くと、様々な用途の武器がそこで今か今かと出番を待っていた。目まぐるしく変化する状況に、社内のあちこちで悲鳴と困惑の声が飛び交っている。 「イヤー! 総務の東さんがこのガスを吸って血を吐いて倒れました!」 「ダメだ。窓もシャッターも開かん。おまけに助けを呼ぼうにも電波も繋がらん」 「これ、本物の武器だぞ。危ないから絶対に触るなよ!」  気づけば、俺は橘の胸ぐらを掴み上げていた。 「橘! これはお前の仕業か!? 何故こんなことをした!」 「キャー、先輩のエッチ。どこ触ってるんですかー」 「ふざけるな!」  俺は思わず橘の体を床に突き飛ばす。 「ふふ、酷いじゃないですか。可愛い部下にパワハラするなんて」    貼り付けたような笑みを浮かべながら橘はゆらりと起き上がる。いつも生意気だが屈託なく笑う彼女とは似ても似つかない。一体、橘と同じ姿をしたこいつは誰なんだ? 「先輩だってゲームの参加者は因縁のある人間同士を集めると言ってたじゃないですか。全ての始まりは二十年前です」 「……二十年前?」  ふと俺はあの日の橘との会話に今さら妙な違和感を覚えた。そういえば、あの大地震の話をした時、橘はなぜ死んだのがだと知ってた。新聞には受講生と講師が建物に取り残され、そのうちの一名が死亡としか書かれていない。知ってるのは当事者くらいだが、現在二十代の橘は当時まだ年端もいかぬ少女であの場にはいない。なら他に知ってるのは当事者の知人、もしくは遺族。 「まさか、お前……」 「そうです。私はあの日死んだ講師の娘です」  衝撃の告白に俺は目眩にも似た浮遊感に襲われる。もしそれが事実なら、この会社に橘以外の若手がいないことにも納得がいく。ここの社員はあの建物の中に取り残された者達だ。しかもあの日は受講初日でもう二十年も前の話なので、俺が命の恩人である関さん以外の顔を忘れていても無理はない。俺達には切っても切れない因縁があったのだ。 「だからって何故こうなる!? 自然が相手なんだから誰のせいでもない!」    俺は必死に訴える。 「違います。父はメールであれが他殺だと教えてくれました。力尽きて犯人の名前までは伝えられませんでしたが確かに『殺された』と。母はその事実を知り自ら命を断ちました。その後、私は施設に預けられ、犯人への復讐の為に生きてきました。私にとって父は一緒にゲームで遊んでくれる唯一の存在でしたから。そして復讐を誓った日から数年経って、ついに私はあの日建物内に取り残された人達のリストを手に入れ、皆さんの調査を始めたのです」  心臓がドクンと跳ねて絶望の音を刻む。まさか橘がこんなにも父親の仇に執着していたとは。だが、あの時は本当に仕方なかった。怪我した俺があそこで誰かを盾にしてなければ瓦礫の下敷きになっていたのは自分だった。あれが他殺だと知ってるのは俺だけのはずだったのに! 「ぐっ!」  頭に鋭い痛みが走ると自分の中で何かが崩れる音がした。意識の底で蠢いていた黒い感情が沸々と唸りを上げるように噴き出してくる。  そうだ。俺がこの会社に入った本当の理由はゲームを作りたかったからでも、あの大地震で死生観を見つめ直したからでもない。人を殺したことで俺の中に昏い喜びが芽生えたからだ。それ以来、俺はその感情が表に出ないようにゲームを作る夢も諦めた。でも採用通知書を受け取った時に再びあの殺人衝動が目覚めてしまった。 「ただ残念ながら誰が犯人なのかは分かりませんでした。故に私は考えました。いっそリストの人間全員殺せばいいって!」  狂気を孕んだとびっきりの笑顔でさらりと身の毛もよだつようなことを口にする。呆然と立ち尽くす俺に、橘は「でも」と続ける。 「いくら仇討ちとはいえ、罪のない人まで殺すなんて酷いことは私にはできません。なので発想を柔軟にして考え直してみました。それなら殺されるに値する理由を作ればいいと! 皆さん、こんな会社で働いてるんですから殺されても文句は言えませんよねぇ?」  俺は戦慄する。やはりこの会社を陰から動かして、あの採用通知書を俺達に送ったのは橘だ。父親殺しの犯人候補を集めて皆殺しにする為に。結局、橘も同じだったのだ。俺が前科や非行歴がある者を参加者に選んでいる理由も殺人を正当化する為の免罪符だった。俺達は似た者同士だった。 「ただの小娘に過ぎなかった私にとって、ここまでの道のりは想像を絶するものでした。おかげでリストの人間を全員集めるまで随分時間がかかりましたが、一年ほど前にやっとその目標が叶いました。そして、人を苦しませてから殺すノウハウはこの一年で皆さんにたくさん学ばせてもらいました」  破滅の足音が聞こえる。死の気配がすぐそこまで迫ってきていた。 「ま、待ってくれ」  俺は懇願するように橘の足元にしがみつく。 「これからお前の言うことは何でも聞く。だから、命だけは!」 「先輩、勘違いしてません? 私もこのゲームに参加しますよ。だって父の仇が生き残ったら誰がそいつをブチ殺すんです? それに多くの命を弄んでしまった私もまた罪人です。私が生き残ってもちゃんと自害するので安心してください」    邪気のない顔でにこりと微笑む彼女を見て、俺もこいつももうとっくに壊れているのだと悟った。いつも二人でバカみたいに笑い合っていたあの頃が遠い昔のように愛おしく感じる。それから橘はデスゲームでお決まりのあの口上を口にして自ら始めた物語に幕を下ろした。 「本日はお集まりいただき誠にありがとうございます。これよりデスゲームを始めます!」
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