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「そんな落ち込むなって。むしろ新人のお前にしては良くやったよ」
俺は慰めの言葉をかけるとデスクに突っ伏す橘の肩をぽんと叩く。
「だって、せっかく先輩がチャンスくれたのに〜」
橘は悔しさで目を真っ赤にしながら、納得のいかない表情を俺に向ける。どうやら今度はお得意の嘘泣きじゃないらしい。結論から言うと、先日の競合コンペは我が社が見事勝利した。だが、そこでプレゼンした案は橘のものではなく企画部のものだった。
「仕方ねえさ。企画部の奴からすれば、素人が俺らの仕事に口出しすんじゃねえってことなんだからよ。俺らは黙って人集めをするしかねえんだ」
「でも私達のほうが絶対面白かったのに〜」
橘は今日で何度目か分からない言葉をまた口にする。
「まあ、これでも飲め」
俺はコーヒーの入ったマグカップを橘のデスクに置く。橘は膨れっ面をしながらも「どうも」と一口啜る。
「おいしい」
「ちなみにそれは俺が焙煎して淹れたコーヒーだから」
「え、そうなんですか!?」
「こう見えて、喫茶店巡りが趣味だからな」
俺は自分の分のコーヒーを飲みつつ、苦味の中に隠された仄かな酸味を味わう。
「ずっと聞きたかったんですけど先輩は何でこの会社に入ったんですか?」
橘はコーヒーから立ちのぼる湯気をぼんやりと見つめながら聞いてくる。
「どんな形でもいいから、自分の夢を諦めたくなかったんだ」
当時の俺は長年の夢だったゲームクリエイターになる為に色々と奮闘したが結局うまくいかなかった。挫折した俺はしばらくゲームとは無縁の生活を送っていたが、十年後のある日、応募した覚えのない企業から採用通知書が届いた。差出人の名前や消印はなく最初は何かのイタズラかと思った。中には会社の所在地が記された紙が一枚入っており、怪しさ満点だったが俺は行ってみることにした。何故なら、その採用通知書には現金で百万円が同封されていたからだ。
この会社はまだまだ秘密が多い。会社のトップが誰なのかも知らない。俺も長くここで人事部をやっているが、知らぬ間に社員が増えていく。恐らくだが、全員口にしないだけで俺と似たような方法で勧誘されて、俺と同じように挫折しながらもゲームを作る夢を諦められなかった奴らがここにいる。いちいち聞かなくてもその仕事ぶりを見れば分かる
「この前の電話で関さんって人がいたろ? あの人とはこの会社に入る前から面識があったんだ」
「へぇ〜仲良いんですね。私という女がいながら妬けちゃいますー」
橘が茶化してくるが俺は首をゆるゆると横に振る。
「いや、あの人は俺の命の恩人なんだ」
俺がゲームクリエイターになれなかったのは学歴がなかったからだ。集団行動が苦手だった俺は独学でゲームの基礎を学び、高校を卒業したら進学せずにその道に進むはずだった。
しかし現実は甘くなかった。実力があっても高卒でとってくれる物好きな会社は皆無な上に、就職したら嫌でも人と接する機会が多くなる。インディーにも挑戦したが、結局面白いゲームを作るには金も人手も必要になると知って俺はさらに絶望した。
そんな時に俺は職安でゲームクリエイター向けの求職者支援訓練のパンフレットを目にした。俺はこれに縋るしかなかった。
あれから二十年経つが、その時の出来事は今でも俺の記憶にこびりついている。初めてそこで受講したあの日、局所的な大地震が起きたのだ。その日はいくつかのゲーム系のコースで受講があり、ほとんどの者は脱出できたが、それでも多くの受講生と講師が崩れた建物に取り残された。のちに小さな見出しではあったが、新聞の隅に『そのうちの一名が死亡』という文字が並んでいた。
「そうだったんですか」
話を聞き終えた橘は沈痛な面持ちをしている。
「俺と関さんはその時の受講生で、あの人は怪我で動けなくなってた俺を助けてくれたんだ。ここで再開した時は驚いたがな」
そう言って俺はすっかり冷めたコーヒーを一気に飲み干す。その日の出来事がきっかけで、俺はゲームを作る夢を完全に諦めた。あの大地震の日のことを思い出したくなかったのだ。それから十年後にあの採用通知書が届くまでは。
「で、でも奇跡ですね! そんな大地震があったのに死者がその講師しかいなかったのは。要するに先輩は関さんに命を救われて、そういう人の生き死にに触れたからこそ、今の職に就いたってことですよね!?」
橘は無理やり明るい口調で喋って、重い空気を和ませようと躍起になっている。こいつなりに俺を励ましているのかもしれない。
「ふっ、一応それ以外の理由もあるんだがガキンチョのお前には教えてやらん」
「私がせっかく慰めようとしてあげたのに! さっさと教えろー!」
橘が俺の肩をぽかぽか殴ってくる。
「断る。こうやって部下に教育を施すのも俺ら人事の仕事だからな」
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