『高ノ宮漆最後の事件』

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『高ノ宮漆最後の事件』

「事件の真相が分かりました。容疑者を集めてください」 高ノ宮(たかのみや)(うるし)は、口角をクイッと上げてそう言った。漆にこき使われるのはいつものことなので、「はいはい」と軽くいなしつつ、僕はリビングに容疑者全員と刑事さんを呼び集めた。 容疑者は全部で5人、それに刑事さんを含めて計6人が、コテージのリビングに集合した。容疑者には漆と僕も含まれている。これからどうなってしまうのか、という不安が居間に漂っている。 「まず、事件の内容を整理しましょう」 漆がそう切り出すと、容疑者の一人・桔梗(ききょう)(けい)は眼鏡を押し上げた。緊張によるのだろうがどこか落ち着きが無い。 「被害者は四十万(しじま)(あや)さん、死因は体の正面から見て左側の頸動脈が刺されたこと、ほぼ即死だと見られています。遺体は、頭を女湯の入口に向けて、浴槽に浮かび、横たわっているところを発見されました。凶器は白いプラスチック製のアイスピック、同様に浴槽に浮かんでいました。彼女の生きている姿が最後に見られたのは19時で、河原でのバーベキューを終えた私たちがコテージに着いた時間です。そして彼女はコテージ到着後即座に入浴し、19時20分、入浴しようとした私によって発見されました」 漆の叫び声を聞き、女湯に駆け付けた、ほんの僅か前のことを思い出した。白い浴槽に浮かぶ綾の体が同じように少し白く見えた。 「また、凶器のアイスピックは河原でのバーベキューの際に使用していたものでした。バーベキューの片付けは明日の私たちが行う予定だったので、河原はバーベキューを終えた時のままのはずですが、事件後に探しても河原にはアイスピックがありませんでした。つまりは、犯人は凶器を手にするために、ここから歩いて往復20分ほどになる河原まで行ったのでしょう。さらに、アイスピックはそれなりの大きさがあったのもあり、周りに人がいる状況では服の中に隠すこともできなかったはずです。つまりは河原からコテージに戻る際についでに持ち帰った、なんてことはありません」 「そんなことはいいんで早く結論を言ってくださいよ。事件が起こってから全く休めてないんですから。コンタクトも外したいことですし」 鈴木(すずき)龍樹(たつき)だ。短い髪の生えた頭を掻きながら文句を連ねる。鈍感な漆も観客兼容疑者たちの気が立っているのをさすがに察したのか、事件の概要をまとめにかかった。 「要するに、です。犯人はアイスピックを河原に取りに行き、コテージに戻り、そして女湯にいた四十万綾さんを殺した、という訳です。ここから様々な犯人を導くための条件が得られます」 漆はなんだか悔しそうだ。推理の邪魔をされたとでも思っているのだろう。あとで愚痴を聞かされるのは僕なのだから勘弁して欲しいものだ。 「まず明らかなのは時間についてです。解剖はまだですが、死亡推定時刻は最後に生きてる姿が見られた19時から、最初に死んでいる姿が見られた19時20分の長くともたった20分間だと言えるでしょう。その間に犯人は河原まで往復し、殺した。いくら走り、手早くやったとしても、被害者を殺し、何食わぬ顔で戻ってくるのに10分はかかると見ていいでしょう」 僕は息を飲んだ。人を10分ほどあれば殺すことができる、という当然の事実の再認識。なんだか受け入れ難かったが、論理の上では受け入れるほか無かった。 「ではアリバイを確認しましょう。死亡推定時刻内で、飯沼(いいぬま)恭輔(きょうすけ)さんと桔梗渓さんは共にリビングで話していた。間違いありませんね?」 「ああ、間違いない」 桔梗渓が言った。僕も続いて大きく頷いた。誓って僕は殺してなんかいないが、ひとまず犯人から除外されたようで少し安心した。 「次に鈴木龍樹さんと坊津(ぼうのつ)兆次郎(ちょうじろう)さんは共に男湯で入浴していた。これも間違いありませんね?」 「そうですよ」と、鈴木龍樹が不機嫌そうに、「ああ」と、坊津兆次郎が気だるそうに言った。 「これで私以外全員のアリバイが証明されました。私はその時間、部屋で一人で本を読んでいました。さて、おのずと犯人は分かります」 ……ん? 何か風向きがおかしくないか? 「つまり犯人は私、高ノ宮漆だということになります」 沈黙が流れた。沈黙を破ったのは僕だった。 「……漆がやったのか?」 漆は自分で言ったことにショックを受けたのか、放心状態のようで返事がない。論理の帰結として自分が犯人になることが納得いかないようだ。 「と、当然違います。であれば当然ここまでの論理が間違っていたことになります」 あわてふためきながらも犯人であることを否定した漆を見てなんだかホッとした。そうだ。漆が犯人である訳がない。 「そうです、先程のロジックでは犯行にかかる時間を10分だと見積もった。しかしもっと早く移動することができれば、身体的に優れていればこの時間はもっと短くなると言えるでしょう。死亡推定時刻にトイレくらいなら行った人もいるでしょう?」 何人かが首を縦に振った。漆はどうにか軌道修正に成功したようだ。 『身体的に優れている』という言葉を聞き、何人かが筋肉質な坊津兆次郎の方を向いた。高校卒業後はボートレーサーを目指しているらしい。彼は余計に不機嫌そうな表情をし、見るなのオーラを出した。漆はそのあたりの視線の動きを無視して続けた。 「続けます。では見るべきポイントは他の部分でした。被害者が刺されたのは女湯、その時間男湯には鈴木龍樹さんと坊津兆次郞さんがいました。もし被害者が叫び声をあげていればさすがに男湯側でもその声が聞こえたでしょう。つまり、被害者は犯人に気付く間もなく後ろからズブリと刺されたんです」 本調子からは少し遠いが、漆の推理が良い方に戻っている。これならまさか、もう流石に自分が犯人だなどと言うことはないだろう。 「被害者は、頭を女湯の入口に向けて、仰向けで発見された、つまりは、被害者は入口に背を向けて入浴していたことになります。そして被害者は体の左側の頸動脈を刺されていた、つまり犯人は背後から刺して傷が左側に来ているため、左利きだということが分かります。私はバーベキューの際全員の利き手を確認していましたが、利き手は私以外が右で私だけが左」 またか……! 「つまり犯人は私、高ノ宮漆だということになります」 漆自身も動揺しているらしい。うつむき、両手を震わせている。 「さっきはやってないって言ってたよな?」 見ていられなくなって声をかけた。 「……やったわけないじゃないですか!?」 上ずった声の漆が叫んだ。刑事さんも漆を不審そうな目で見始めている。しかし、全体の空気としては、緊張感が溶けてきている。 「ええ、ええそうです! 私が犯人なはずはないので論理が間違っていたことになります。いくら静かに後ろから忍び寄ったところで、すぐそばまで来た犯人に気付かないはずがありません。犯人は犯行現場、つまり女湯に入っても怪しまれない人物だったことになります」 ……もう駄目かもしれない。 「容疑者の中で女性は私だけ、それ以外は男性です」 恐らく漆自身も途中で自分の論理が導き出すものを予想しきったのだろう。しかし、ドミノ倒しのように論理は次へ次へと進み、同じ結論へと終着していった。 「つまり犯人は私、高ノ宮漆だということになります!」 漆は大声で言った。ほとんどヤケクソのようだ。 「刑事さん! 早く私を逮捕してください! どうやっても私が犯人になってしまいます。こんなことは初めてです。もしかしたら自覚がないだけで私が殺していたのかもしれません!」 漆は両手を前に出し、自ら手錠をかけられようとしている。拍子抜けした表情で、元・容疑者たちが漆と刑事を見つめた。 「あ、ああ」 刑事も動揺した様子だが、ひとまず漆に手錠をかけた。 そして、そのまま、漆は逮捕されていった。高ノ宮漆、最後の事件だった。
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