『高ノ宮漆最後の事件』を読んで

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『高ノ宮漆最後の事件』を読んで

「これ、恭輔が書いたの?」 "お悩み解決部"の部室の中、漆は一冊の大学ノートを広げていた。細かい字が並び、左上には『高ノ宮漆最後の事件』とあった。間違いなく僕が書いたものだった。 「ちょ、漆、人のもの勝手に見るなって」 「ざんねーん、もう読んじゃいました。で、これは?」 既に手遅れだったらしい。覚悟を決める。僕は漆に渋々、といった感じで説明した。 そもそも"お悩み解決部"とは、生徒の悩みを解決に導こう、という気概の団体である。漆の入部以前は"お悩み相談部"という名だったそうだが、漆が「悩みは聞くだけじゃなくて解決しなきゃいけないのよ」だとか言ったことからトントン拍子で話が進み、今の名前になった。 普段から手広く、人生相談から恋愛相談、あるいは学園で起こる事件の解決まで行ってはいるが、校舎の隅の方に部室があるため仕事は基本的に少ない。ちなみに僕は会誌に載せるために、"お悩み解決部"で起こった事件をノベライズしていたりする。 漆は1年生ながら、その尊大とした態度と絶大な実力で中心的な働きをしている。学年的にはひとつ上な僕を良いように扱っているのだ。 そんな風に漆にやられっぱなしなのが悔しかったから、僕から問題を出題することにしたこと。それが、掌編『高ノ宮漆最後の事件』だということ。まだ出すのはもう少し先にしようとしていたこと。これは「読者への挑戦」ならぬ「漆への挑戦」だと言うこと、そのあたりを説明しきった。 「ふーん、色々と言いたいことはあるけどねぇ」 漆は触覚のような横髪をいじり始めた。そして、唐突に叫ぶ。 「私がこんな簡単な事件を解けないわけがないでしょ!」 ……思った通りだ。漆に見られないようにもう少し厳重に管理しておくべきだったか。 「……ごめん」と簡単に謝った。 「いい? 推理ってのはこうやってするのよ。まず確認ね。作中の高ノ宮漆は当然私だし、飯沼恭輔は当然恭輔よね? そして私とあんた以外の登場人物は架空よね? 少なくとも私は知らない奴らだわ」 「それであっている。あと、あくまで推理パズルのようなものだと思ってくれ。動機なんかは問わない」 漆は真相に確証が持てたのか口角をクイッと上げて笑った。そしてコホンと小さく咳払いをした。 すると、漆は"女子高生モード"から"名探偵モード"へと変化した。こうなると、話し方は女子高生のそれから、名探偵のそれへと変わる。もちろん、小説で描いた漆は"名探偵モード"の漆だった。漆は名探偵に憧れている……らしい。 「まず一つ目、凶器について大きな間違いがあります。。犯人はその集まりに同じ種類のアイスピックを二つ持ち込んでいた。そのうちのひとつはバーベキューで使用し、もうひとつは自分の荷物にでも入れていたのでしょう」 「じゃあバーベキューで使っていた方のアイスピックはどうなったんだ? 勝手に消えるなんてことはないだろう」 僕は小説を書いた側、つまりは真相を知る者だが、形式として質問をしておいた。これは回答者に対する僕なりの礼儀だ。 「凶器のアイスピックはプラスチック製で、発見された時、浴槽に浮かんでいたのですよ。つまりは川に投げ込めば自然と流れていくでしょう。文章中でも『河原にはアイスピックがありませんでした』としかありません。下流を探せばきっとあるはずです。また、『周りに人がいる状況では服の中に隠すこともできなかっ』ても投げ込むくらいならできたのではないでしょうか」 その通りだ。さすが"名探偵モード"と言うべきか。しかし、問題はまだある。 「じゃあ利き手や性別の問題はどうなる? 漆以外の容疑者は全員右利きで男だぞ?」 「ええ、これが二つ目です。『被害者は犯人に気付く間もな』かったのではなく、被害者は犯人の接近に気付いたのだが叫び声を上げる間は無かったが正しいでしょう。後ろからの接近に気付けば当然被害者は振り返ったでしょうね。そうなれば、被害者と犯人は対面する形になります。つまり、被害者の体の左側は、犯人の右側が向き合うことになり、そうなれば右利きの者の犯行だとしてもを矛盾なく状況を説明することができます」 さすが漆だ、だがこれならどうだろうか? 「?」 漆は自分が犯人ではないと示せればよい、つまりはトリック当て(ハウダニット)だと考えていたようだが、これは犯人当て(フーダニット)である。漆は一瞬驚いたような表情をした。この質問がされることは予想していなかったのだろう。作中では登場人物の描写、つまり犯人特定の手がかりがほとんどない。 元来、この小説は漆への挑戦として書いたものだ。簡単に解かれるようでは困る。僕だって漆ほどの推理能力は無いにせよ、探偵のような仕事もこなす"お悩み解決部"の一員なのだ。 そう、犯人が漆でない可能性を提示できても、それだけでは事件は解決したと言えない。出題者が解答者に問題を出すということはつまり、この問題は漆には解答可能である、という訳だ。さて漆はこの挑戦に答えることができるのだろうか。 「犯人は桔梗渓です」 1分ほど黙った末に漆は、まさに正解を導きだしていた。渾身の問題が解かれたことに悔しさを覚えたが、出題者として、論理を確認しなければならない。 「それはどうして?」 「まず、アリバイだけでは犯人を導くことができません。『何人かが首を縦に振った』と、トイレに行った人物の存在は示されていても、誰かまでは明示されてませんしね」 そうだ。そこがこの挑戦の肝になる部分だ。 「そもそも犯人が凶器を現場に残した時点でおかしいと気付くべきでした。犯人は凶器を現場に残すつもりはなかったはずです。例えば殺すのに使ったアイスピックを誰かの荷物に紛れ込ませれば最重要容疑者をコントロールできますし、そうするつもりだったのでしょう」 漆はふぅと息を吐き、「もっともこれは妄想に過ぎませんが」と言って続けた。 「もし現場に凶器が残っていれば、犯人がアイスピックを二つ用意していたことからも、犯行のために河原に行く必要があった、という方向の推理はなされるでしょうからね。そうなれば、殺すために少なくとも数分の、アリバイのない時間が必要になる犯人にとってはリスクになりえます。現に犯人は、『もっと早く移動することができれば』という条件付きですが疑われているのですから」 「じゃあなぜ犯人は凶器を浴槽に放置したんだ?」 「放置したのではなく、結果的に放置する形になってしまったのでしょう。犯人は浴槽の中にアイスピックを落としてしまい、拾えなかったために放置することになってしまったんです」 「浴槽に浮いているアイスピックを拾えない、なんてことがあるのかよ」 「浴槽は『横たわってい』られるほどには大きかったわけです。力を入れて殺し、とどめの2発目を刺そうとする中ですっぽ抜ければ遠くに飛ぶでしょう。あるいは、血で手が汚れることを恐れて凶器を離したのかもしれませんが。つまりはすぐ近くから凶器が離れることは起こり得る、という訳です。そうです、」 漆は得意そうに笑った。僕は悔しさから歯を噛みしめた。 「犯人の決め手は眼鏡をかけていることです。風呂場では眼鏡は曇りますからね、その時は外していたのでしょう。殺人現場では、浴槽は白く、凶器も白い。目が悪ければ見失ってもおかしくないでしょう。犯行に長い時間をかけられるわけではありませんし、思い描いた最善の状況を諦め、次善の策を選ぼうとしたのでしょうね。犯人の条件は、眼鏡をかけているかつ目が悪い人物です」 「……確かに桔梗渓は、『眼鏡を押し上げた』とあるように眼鏡をかけているが、他の容疑者が眼鏡をかけているとは言えないんじゃないか?」 「まず鈴木龍樹は『コンタクトも外したい』と言っているように、コンタクトを付けています。万一伊達眼鏡をかけていても視力があれば問題ありませんからね。坊津兆次郞は『高校卒業後はボートレーサーを目指している』とありますね。ボートレーサーは裸眼視力0.8以上でないといけないので当然これもクリアしているでしょう。つまり犯人は桔梗渓でしかありえません」 「待った。僕と漆は?」 僕がそう聞くと、漆は再びコホンと小さく咳払いをした。そして"女子高生モード"の漆へと戻った。ジト目で僕を見つめる。心の奥まで見透かされているようだ。 「この小説の中だけでは判断できないわ。そうよね? 私は恭輔の知る通り目は良いし、恭輔もずっとコンタクト、眼鏡をかけてないとああならない以上、私たちは犯人じゃないわ。まあ、恭輔に関しては地の文で『誓って僕は殺してなんかいない』とまで明記されてるし」 「……正解だ」 自信作だったのに完答されてしまった。これだから、やはり漆には適わないのだ。 「第一ねぇ、私が自分が犯人だと認めるなんてありえないのよ?」 漆は僕を指さし、イタズラに笑いながら言った。 「名探偵は自分のミスを認めないものなんだから」
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