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 クレイグ老人はまた、一年間の太陽系外周遊から帰ってきた。宇宙港内のバーへ戻ると、もちろんそこは蜘蛛の子一匹いないがらんどうである。これでまた人より一年長く生きた。  こよみ上百二十歳の老人は、全面タブレットの壁に触れ、薄青い明かりで店内を照らした。カウンター内側には、放置したままの酒瓶とは別に、一枚の写真が飾られている。  亡き妻レティシアは四角い枠の中で今もなお、(みが)かれた真珠貝のような笑みをたたえている。この頃が彼女の栄華の頂点であることなど、クレイグはおろか、周囲の誰も予想しなかった。  知らぬうち体をむしばむ病魔が果たして、幸福の代償なのかははっきりとしない。腸内で発生した腫瘍(しゅよう)は、彼女を起き上がれない体にし、そのまま連れ去っていった。  地球時間で九十年前、若きクレイグにはその冷徹な運命に(あらが)う力はなかった。場末のバーを切り盛りしつつ、日に日に小さくなる妻の命の灯を見守る。心根の優しい夫のこの行為も、迫りくる死に立ち(ふさ)がる障壁としてはあまりにも軽かった。 「君のために一財産築いてみせる」夫がこの約束を果たすところを、妻はついに見ることがなかった。若さゆえの貧しい己の姿しか彼女の脳裏にはなかっただろう。  二人が三十になる手前、まだ青い春の残り香が人生の道々に満たされていた頃、俺はどうすればよかったのだろう。酔客に相づちを打つときもそう、周遊船内で虚空宇宙の紺を眺めるときもそう、この問いはいつも予告なく老人の頭に降って湧いた。そしてそのつど、答えを導かない途中経過の思考が誰にも受け止められないまま、脳内の砂漠へ墜落するのだった。
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