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 男が水割りを頼んでから、(しばら)く無音の時が流れた。店内の静寂が飽和する頃、ようやく男から口を開いた。 「めずらしいじゃないか、生身の人間の接待者は」全自動接客を導入しない店に、少しとまどったのだろう。  クレイグはそっとこたえた。「昔の名残りで現在も御賢察(けんさつ)通り、自然のまま商いをしております」  男が「僕は嫌いじゃない」と云うと、その場の閉塞感が薄暮時(うすぐれじ)()影法師(かげぼうし)の如く霧散(むさん)した。  しだいに冗舌になった男は「AIでない店主と話したのは、実に数年振りだ」と、時折歯を見せて笑った。男はむしろ、いまだ古風なバーを営む老人の生きざまが気になるようだった。  クレイグのいわば、「こだわり」のようなものは彼の体中からにじみ出ていた。 「ところで、マスターはいくつなんだい」男がたずねると、クレイグは地球上ではちょうど百二十であることを伝えた。 「百二十?」男はいうまでもなく、おどろきの声をあげる。  クレイグは、初見に対するいつもの対応であったが、三十からずっと実践し続けたことについて話した。 「すると三十歳から」男は当惑しつつ、「三十年地上にいたのち、三十年太陽系外周遊船内を生活基盤とすることと同じ」と考え込んだ。それから計算を済ませると、また言った。 「船内で相対性理論により時間がゆっくり進むから、宇宙で三十年過ごすと、地上では六十年経つというわけか」彼が得意満面で語ると、老人はやや照れくさそうにして答えた。 「おっしゃる通りです。本来九十ですが、疲れた満身創痍(そうい)(からだ)にまだ鞭うちながらやっているのです」  年の話をすると必ず、頭の中にそれまでの日々が蘇る。煩悶(はんもん)幾星霜(いくせいそう)はどうあがいても、元へは戻らない。  思えば、ここへ足しげく通ってくれた人々の中に、長年の比類無き親友たちの姿もあった。  妻が亡くなった後でもきっと、悪くない時代はあったのだろう。ただ健気で、純真無垢の頃から知っていた友人たち。彼らと編んだ秩序は、自制のない酔っぱらいを寄せ付けなかった。一面星河(せいが)輝く夜には数人で、飛び立つ周遊船を拝みに行くこともあった。  だが、彼らももうこの世には居ない。  今際(いまわ)(きわ)をなお老人が先へと伸ばすのだから、当然だろう。いつしか、彼らとの歩みは徐々にずれていった。  浦島太郎が玉手箱をあけたときも、似たような景色を見たにちがいない。 「それはさぞ寂しかっただろうに」英国紳士は店主のこころを推しはかって言った。 「妻との約束がありますのでね」老人の意味深長な言葉に対し、男はそれ以上踏み込もうとしなかった。  やがて男が帰ると、店にいつもの静けさがもどった。
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