青の深淵

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 彼女曰く、日本国内にはイタリアの「青の洞窟」にあやかった観光地がいくつかあって、その青色の海面をイメージしたご当地万年筆インクがあるらしい。今時、なんだって通販で購入できる時代だけれど、私が購入してきたインクはそこに行かないと買えないものなのだとか。 「筆まめなのは知ってたけど、前からそんなにインクが好きだったっけ?」 「んー、インクに嵌ったのは最近かなぁ」  ちょっと待っててね、と彼女は席を立つと奥からウィリアムモリスの壁紙みたいな柄の文箱を持ってきた。蓋を開けると、青いインク瓶が一つと、様々な色、サイズのガラスペンなんかが並んでいる。  彼女はそのうちの一本を取り出して、ガラスのペンレストの上にそっと置いた。 「どんな色かなぁ……」  「青の洞窟」インクを手に取って、暫くラベルを眺めてからこじるように箱を開ける。 「ああ、箱で何となく解ってたけど、やっぱ瓶は『とのりむ』さんか……」 「とのりむ?」 「インクメーカーさん」 「へぇ……」  彼女は濃紺のプラ蓋を捻った。  蓋裏に溜まったインクを、まるでワインをくゆらすようにゆらして色味を楽しんでいる。 「ふうん。思ったより……明るい色なんだなぁ」  次に文箱から紙を一枚取り出し、ガラスペンの先をトプンとインクにつけてから、サリサリと音を立てて円を描いた。白い紙に青い波紋が広がる。 「明るい……? まぁ、……確かに」  私は彼女の手の動きを目で追いながら適当な合いの手を入れた。  どんな色に近いのか、具体的に例える言葉は思いつかないけれど、南の海? 沖縄とか連想させる、そんな色。 「さて……と」  彼女はまた、文箱に手を入れて何かを取り出した。 「これ水筆ね。染料インクだからぁ……。薄めて……どんな表情が出るかな……と」  筆先をガラスペン先の溝に滑らせると、今度はシャボン玉みたいに丸い円を描き散らし始めた。  明るい青が濃淡の表情を得て、白い紙の上に踊る。  彼女の眉がピクッとはねた。
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