1.はじまりの音

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1.はじまりの音

 失恋した。告白してもいないうちに。  わたしは高校の制服姿のまま、千影神社(ちかげじんじゃ)の鳥居をくぐり、長い石段を一段飛ばしで駆け上がった。  もともと走るのなんて大の苦手だ。あっという間に酸素を上手く吸えなくなる。 「はあ、はあ。どうして?」  わたしばっかり、こんなに苦しいんだ。  打ち上げられた魚のエラがぴちぴち動くみたいに、わたしは、ぜえぜえと呼吸する。 「なんで、なん……で、よ」  言葉にならない声。そこに憂鬱(ゆううつ)な気持ちをのせて吐き出そうとしても、ちっともすっきりなんてしなかった。  それどころか、どんどん底なし沼に吸い込まれていくみたい。 「はあ、はあ」  ひたすら階段を上っていると、頭のなかに、二年三組の教室が浮かんできた。 「あ、彩羽(いろは)。あのさ……。もう聞いた? えっと、大和(やまと)くん、先輩と付き合ったってウワサになってるけど」  友人の弥生(やよい)弥生の声は、こちらを気遣うように、どんどん小さくなっていった。わたしは本音を喉の奥に沈めて、笑ってみせる。 「あー、うん。さっき知ったところ。もうすぐ冬休みだもんね。デートには良いタイミングなんじゃない? クリスマスとか初詣とかさ」  他人事のようにそう言いながら、二人が手を繋いで歩く姿を想像する。そうしたら、胃のあたりが気持ち悪くなって、目の奥がツンとした。わたしは慌てて顔を隠すように、弥生に背を向けた。  泣いているところなんて、人に見せちゃダメだ。 「……大丈夫?」 「うん。平気。思っていたよりもぜんぜん」 「ほんと?」 「ほんと、ほんと。……こないだね、美化委員会の活動があったとき、たまたま二人きりになることがあったんだ。そのときに、少しだけ話せたんだけど、大和やまとくんさ、昔のこと、覚えてすらいなかったから」  わたしは早口でまくし立てた。 「それって、うんと小さい頃の話でしょ。忘れてるからって、彩羽のことどうでもいいとかそういうんじゃないってば」  弥生が慰めようとしてくれているのが、痛いほどに伝わってきて、居たたまれない気持ちになる。 「うん。でも、いいの」 「あ、いっそのこと、彩羽(いろは)も告白しちゃうとか?」 「……できないよ。そんなこと」  もしも、もっと前に、大和くんに好きだって伝えていたら、なにかが変わったんだろうか?   一瞬、考える。  でも……。そもそも自分から思いを告げるなんて、絶対無理だ。 「そうだよね。ごめん」 「あ、違うの。弥生は悪くないの。こっちこそごめん。でも、もういいの」  なんとなく、気まずい空気になる。 「彩羽(いろは)がいいならいいけどさ……。あ、あたしさ! この後、部活あるから、一緒に帰れないけど、夜なら電話できるから!」 「ありがと。でも、なんともないってば」  一瞬だけ弥生の顔を見て、わたしはそう言った。  あのとき、本当は悲しいんだって伝えられたら、少しは楽になったのかな。  どうか、どうか……。 「わたしの恋を叶えてください!」  神社の石段を上り切ると、本堂の前までずかずかと進み、両手の指を絡めて願った。  そうしたら、なにかが起こる。  ……わけもなく、あたりには、ただシンとした空気が漂っているだけ。  たまにしかこないけど、千影神社(ちかげじんじゃ)の空気は町のそれと違っている、とわたしは思う。寒いというより、どこかひんやりとした冷気が漂っていて、ほてった頭を冷ましていく。 「……バカみたい」  少し冷静になったわたしは両手をだらんと腰の横へと落とした。  神様にお願いするだなんて……。  それだけでなんでも叶うなら、みんなそうしてる。うまくいかないことの方が多いってことは、わかっているはずなのに。  小学生のとき、ここじゃない神社で何度もお願いした。「パパとママをこの世界に戻して」って。  あたりまえだけど、二人とも帰ってはこなかった。  それでも……。  失恋したとたん、いてもたってもいられなくなった。なにかできることを考えたら、神頼みしか思い当たらなかったんだから、自分でも笑っちゃう。 「はあ……。神様がいるなら、証明してよ」  不貞腐れたわたしが嘆くように、呟いたときだった。  チリン、という涼しげな音がどこかで鳴った。
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