08章『それなんてハプニングなピクニック』

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08章『それなんてハプニングなピクニック』

***  な、なんでこんな状況になってるんだ??  もう一度、辺りをよく見てみる。    あ、ありのまま、今、起こったことを話すぜ。  な…何を言っているのかわからねーと思うが 俺も 何をされたのかわからなかった……頭がどうにかなりそうだった…… 「…………いい加減にしないとミリーも怒るよ、アシュレイお兄ちゃん……」 「あ、ああ。すまん……」  はい、ごめんなさい。 「あのー、ミリー。私も、これはちょっと……どういうことなのか……」 「レイチェルお姉ちゃんもお姉ちゃんなのです」  あの優しいミリーがピシャリと言って、流石のレイチェルも正座したまま言葉を呑みこむ。  可愛らしい桃色で統一されたベッドと机。本棚にはクマのぬいぐるみ、そして窓際には例のフィッチさんが居られる鳥篭が吊るされている。  久しぶりに入るミリーのお部屋。  折角の日曜日、突然、ミリーが朝から俺の家に訪れ『アシュレイお兄ちゃんに話があるの』と、自分の家に来るように告げたのだった。  そして、何故かミリーの部屋のカーペットの上で正座させられる俺と、同じく呼ばれたレイチェル。  いつもは天真爛漫かつ明るさ満点の筈の我らが妹分はかつてない怒りのオーラで俺たちを見ていた。 「ミリーは、ほんっっとーに悲しいのです。アシュレイお兄ちゃんも、レイチェルお姉ちゃんにも」  いきなりな話でついて行けない。一体、何の話なのだ、ミリーよ。 「まだ分かんないのかなぁ……最近のアシュレイお兄ちゃんとレイチェルお姉ちゃんの仲のことだよー!」 「!?」 「そ、それは……ね……」 「もう、ミリーも見てて限界なのです」  動揺する俺たちにミリーは最後通告をする。 「祭りが終わってから変だよ、二人とも。妙に壁があるし、ヨソヨソしいし。……そんな、アシュレイお兄ちゃんとレイチェルお姉ちゃん、見ていたくない……ミリーは見たくないよー!!」  そう。  ミリーにもわかられていたのだ。俺とレイチェルの間のこの微妙な齟齬を。 「イヤだよ……ミリーの、二人はミリーの本当のお兄ちゃんとお姉ちゃんみたいに思ってるのに、そんな二人がバラバラになってしまうのは……」  そして、シクシクと泣き出してしまう。  こ、これはマズい!! 「い、嫌だなぁ、ミリー。俺とレイチェルはいつも仲良しだぞ? なんたって幼馴染みだからな。な?」 「え? ええ、そうよ、ミリー。私とアッシュはこう見えても本当はとても仲が良いんだから、ね、アッシュ?」 「「なー?」」  二人して顔を引き攣らせながらも、俺たちの大事なミリーが泣き止むように何とか声を掛ける。 「……ホントに?」 「あ、ああ! 本当に決まってるじゃないか!」 「そうよ、ミリー。本当よ」 「じゃあ……」  ……ようやく、泣き止んでくれたか。  と、ホッと安堵していた俺とレイチェルに、ミリーは告げる。 「来週の日曜、2人ともお出掛けしてね! エルム草原にピクニックとか。ちゃーんと仲良くしてるか、ミリーとリアンちゃんで見てるんだからね」  なぬ!? 何故に、そんな話に…… 「えーと、ミリー。そんないきなりピクニックとか……」 「あれ? レイチェルお姉ちゃん、一緒にピクニック出来ないほど、アッシュお兄ちゃんと仲悪くなったの!?」 「いやいや、そういう訳じゃなくって……」 「もう!! つべこべ言わないのー! レイチェルお姉ちゃんもアッシュお兄ちゃんも! 仲良くピクニックするの! これはもうミリーが決めたんだから。ねー?」  と、押し切られてしまうのだった。  うーん、妙なことになった……。  翌日、朝から司書室のいつもの机につきながら、ボーっと考える。  そりゃ、昔は良くエルム草原にピクニックもだし、遊びにも行ったもんだが。何せ、郊外にある俺らの家からしたら、ここ中心街よりも直線距離は近いのだ。  だとしても、だ。  レイチェルとピクニック、なぁ。  最近、やたらとトガッてるし、話が続くのだろうか? でも、ミリーとリアンが見張ってると言うし。 「何、悩んでるん? アシュ氏」  俺がさっきから、うんうん唸ってるのを見かねたのだろう。バルが聞いてきた。  そういや、リアンも来ると言ってたが? 「いや、今度の日曜にエルム草原にピクニックすることになるらしーんだが……リアンちゃんも来るらしいのだが、バルは聞いてるのか?」 「え? そーなん? 僕は聞いて無いけどなー」  あれ? バルは聞いてないのか? だが、リアンが来るならバルも誘っておいた方が良いんではないのかな。……リアンの安全の為にも。 「ミリーがそう計画してるみたいだったぞ。リアンちゃんも、と。なのでてっきり知ってるものかと。でもそれならバルもどうだ? 今週の日曜なんだが」 「別に僕は用事が無いから良いのだけどもー。それ、本当に僕も行って良いんー?」  とは言え、リアンも来るのだろ? 「リアンちゃんが来るなら逆にバルがいた方が良いのではないのか?」 「それも、そーなのだなー」  と言いつつ、隣で今度はバルの方がうんうん唸っていると、豊満な胸を揺らしつつ彼女がやってきた。 「あら、何の話かしら。二人とも」  セレスさんだ。  相変わらず胸の割には腰の細さたるや……美人オーラが半端ない。  今日は珍しく午前からこの図書館に来たらしい。 「ちょっと今日は午後に予定があってね。それより男性2人で何の話かしら? 私には言えない話?」  そう、蠱惑的な流し目で問われると、どう答えるべきか戸惑ってしまうのだが…… 「……今度の日曜に、近くのエルム草原という所でピクニックに行こうか、という話があってその話をバルにしていたんです」 「へぇ、ピクニック。秋だし、とても気持ち良さそうね」  セレスさんは鈴を転がすような声で微笑んだ。 「良ければ、セレスさんもどうです? ワルターさんもご一緒に」  まぁ、まさかこの美人がピクニックなどという野原の行事に赴きはしまい、と半分、社交辞令で誘っただけだった。 「あら、私達も参加させてもらって良いのかしら? それはとても嬉しいわ。他の人達との交流を通じてもっとこのクロノクル市のことを良く知ることが出来るし」  あれ? 意外に乗り気だ、この人。 「ありがとう! またワルターにも確認しておくわ。大丈夫と思うのだけれど」  そう言って、いつもの本探しを始めるセレスさん。思ったよりアウトドア派だったのかな? 図書館通いをずっとしてるからてっきり逆だと思ってたんだが。  「……アシュ氏、これ、良かったんかなァ……僕は知らんのだけども……」  バルが隣でボソッと文句を言ってくるが、何がいけなかったというのだ? ピクニックは大勢で楽しむものでは無いのか? 「僕は知らないよー」  再度、念を押されるのだった。  日曜日。  時計塔の時刻は9:20を指す。  本来なら中心街に来ることのない曜日だが、俺は朝からここに居た。  朝晩はもう肌寒さも感じられる季節だが、まだまだお昼時は少し暑さも感じる微妙な季節。 「あら、アッシュ君。お待たせしたかしら。ごめんなさいね」 「すまないな、自分達までお誘いしてもらって、更に辻馬車の案内までしてもらうとは」 「いえいえ。ちょっとややこしいですからね、エルム草原行きの辻馬車は」  そう、普段は無いエルム草原行きの辻馬車は土日・祝日だけ特別に便が用意される。  ここの住人なら良く知ってるがセレスさん達には分かりにくいだろうと、俺が案内役で中心街で待つことになったのだ。 「わざわざゴメンなさいね。でも、本当に楽しみだわ。ねぇ、ワルター」 「セレスお嬢様は昔から野山がお好きでしたからなぁ。久しぶりに自然と触れる機会を頂けるのは実に有難いです」  どーも俺の予想とは正反対に野生派であらせられたらしい。この超美人さんは。  3人でエルム草原行きの始発の辻馬車に乗り込む。特別便なのであまり便の数も無いし、始発も早くないのだ。  この時期なら他にも客が居そうなのだが、エルム草原に向かうのは俺たち3人だけらしい。  ガシャガシャと音を立てて、馬車はレンガ通りの道を軽やかに進んでいく。  窓から入る心地良い風を受けながら昨日のことを俺は思い出していた。 「なんでそんなことするのかなぁ……ミリーはもう、アシュレイお兄ちゃんには本当にガッカリなのです」  バルやセレスさん、ワルターさんも参加することを伝えた時のミリーの第一声がそれだった。  なんでガッカリされるのかがマジでわからん……。 「いや、リアンちゃんも来るのだろ? ではバルも保護者として来ざるを得ないんでは無いのか?」 「それはそうなんだけど……そうなんだけど、そうでは無いって言うか……もう!」  何やら、らしくない膨れっ面。  隣でレイチェルも何やらびみょーな苦笑いをしているが。  因みに、二人はミリーのママに手伝ってもらいながらピクニックのためのお料理作りをしていた。なので、クリエッタ家の台所は野菜やジャガイモ、お肉にパンの山で騒然となっている。  で、俺はその材料の買い出しに店参りしてきた帰り。まーこれぐらいしか俺は手伝えんので。 「もう……アシュレイお兄ちゃんがここまで分からずやさんだったとは思ってなかった。こうなったら、レイチェルお姉ちゃんが、頑張らなきゃいけないんだから!」 「え? 私? それはどういうことかな、ミリー。私が頑張るとか、何を?」 「そもそも! ミリーが思うには、レイチェルお姉ちゃんがもっとアシュレイお兄ちゃんに積極的に行かないのもいけないと思うの」 「えええ!?」 「だから、明日のピクニックはレイチェルお姉ちゃんが頑張って迫んなきゃ! アシュレイお兄ちゃんはミリーが言っても全っ然、響かないみたいだから」 「ちょ、ちょっとミリー! それ以上はタンマ!」  何やら、俺はミリーに見放された様子なんだが、おい。  俺を無視してわきゃわきゃしているミリーとレイチェルをただボーっと見ているのだった。  1時間ちょい揺られるくらいでエルム草原に馬車は到着する。  懐中時計の時刻は10:40。  少し小高い丘を中心に緑の草原が広がっている。一面に咲く秋桜と桔梗などの花々。  そして、時々、例のカラスの鳴き声も聞こえてくる。あいつ、まだいるのか。  俺たち以外にも既にいくつかの団体がエルム草原に来ているようだった。 「あー! こっちだよー、アシュレイお兄ちゃん!」 「もう準備は出来てるのだなー」  こちらを見て手を振るミリー、その隣にはリアンとバルの姿も。レイチェルもシートを広げて場所を確保していたが、こちらに気づいて顔を上げる。  場所や料理の準備もあり、セレスさん達の道案内役である俺以外は直接、歩いて先にエルム草原に来ていたのだ。  セレスさん達も互いに自己紹介を始めるのだったが…… 「あら? あなたは『天使似』なのね? 私と同じね」  セレスさんは、リアンを見てそう言ったのだった。 「『天使似』って何かなー? 初めて聞いたよ」  同じ『銀髪・黄金眼』の二人。  まるで、どこかの絵画から抜き出てきた様なビジュアルだ。  その隣でレイチェルが息を呑む。 「セレスさん、その単語は……」 「『天使似』という単語がダメなのかしら? クロノクル市国では。他の国では普通に使われるのだけど? まぁ、色んな意味や思いはあるから、それには私も戸惑った時期はあるわね、確かに」  セレスさんは薄く、寂しそうに微笑んだ。  そんなセレスさんを不思議そうに見るリアン。 「でも、こんな素敵なお兄さんがいて、良かったわね、リアンちゃん」 「うん! ボス……じゃない、お兄ちゃんはすっごくカッコいいんだよー!」  リアンの言葉に照れてぼりぼりと頭を掻くバル。そんな二人をセレスさんは嬉しそうに見つめている。 「さぁ、皆、ミリーやレイチェルお姉ちゃんの作った料理を堪能していってね! では」 『かんぱーい』  と、各々手にした木のジョッキで乾杯するのだった。  ミリーとレイチェルが前日から用意した料理はサンドウィッチや唐揚げ、ポテトフライ、更にはセレスさん達が手土産で用意した梨や葡萄といった果物まであり、本当に豪華だった。  バルがボリボリとむしゃぶり食ってるがそれでもまだ全然余裕がある。  皆、思い思いに場所を移しつつあり、セレスさんやワルターさんは丘の方へ。緑の草原の上をはしゃぐミリーとリアン。やはりあの二人はとても仲良しでまるで本当の姉妹の様だ。その二人に、時にバルが鬼役で追いかけっ子に加わる。  そんな、のどかな一幕。   「あ、アッシュ。ちょっといいかな」  気付くと隣にレイチェルがいた。  祭りの時と同じ薄い秋桜色のワンピースに、これまたいつもの度の無いモノクル、それに胸元に輝く紅玉石のネックレス。 「……例のカラス、まだいるっぽいからネックレスは気をつけておいた方がいいぞ」 「あー、昔はよくビー玉を取られたわ。ホント、やだ」  そう言って、赤く光る紅玉石のネックレスをそっと胸元にしまい込む。  そして、俺にその手の中のグラスをそっと差し出す。 「これ……ウチで毎年、作ってる梅シロップジュースなの。今年は私が漬けてみたんだけど……良かったら、味が変じゃ無いか見てくれないかな?」 「そりゃ、構わないが」  グラスを手に取り、頂く。  甘さと酸っぱさが絶妙に舌の上を行き来する。 「どう……かな?」 「うん、爽やかで美味しいぞ」 「そっか……へへ、ありがと」  別に感想を言っただけでお礼を言われる事は無いんだがなぁ。  何とは無しに草原の方を眺める。  キャッキャと戯れるリアンとミリー。一応、バルもついて見てるが……ちょっと離れ過ぎてないか? リアンはやんちゃなんでしょうがないのかもしれんが。  セレスさんとワルターさんは相変わらず、丘の上で風を浴びて気持ちよさそうにしている。  周りには俺たち以外に4組のグループがいた。いずれも大人ばかりで共に静かにこの秋の空気を楽しんでいる……  …………。 「……久しぶりに二人でゆっくりしてる気がするね、アッシュ」  隣でレイチェルがはにかみながら微笑む。 「ミリーに、ああまで言われないと私も気付けなかったのかなぁ、ダメね、私も」  …………。  なんだ? さっきから違和感が拭えない。  冷や汗が首筋を伝っていく。 「あの時、アッシュは私に『お礼』を言ってくれたでしょ? ……でも、私も、アッシュにお礼を言いたくて……」  ……………………。  なんだ……この……違和感……一体……そうだ、これは!?  そうだ……俺とセレスさん達は『始発の便』でここに来た!  なのに、何故、俺たち以外に、『既に4組ものグループがこのエルム草原にいる』!!  子供はおらず、男性ばかりの観光客達が!? 「バル! リアンを守るんだ!」  気付いた時には声を挙げていた。  秋桜の花の中でミリーとリアンが笑い合って互いにお花を頭に差し合おうとしてる中、近くでくつろいでいた筈の客達が走り出す。  その内の一人がリアンに手が伸びる寸前。 「リアンには触れさせんのだ!」  バルは飛び上がり、その巨体で一気に間合いを詰める。次の瞬間、男の胸に鉄塊の様な飛び蹴りが炸裂し、彼は地面に叩き伏せられる。  周囲の男達がエモノ——いつぞやも見た曲剣を手にして襲い掛かろうとする。  その数、ざっと5人✖️4グループの20人弱。  バルはその目を鋭く光らせ、再び動き出す—— 「リアンちゃん、ミリーちゃん、下がって。私とワルターが前に出るわ」  セレスさんが、風のように静かに立ち上がると、その瞳は冷静な光を放っていた。細剣を軽く抜き、スッと一閃、身構える。  襲い掛かろうとした男が気付いた瞬間、セレスさんは既に動いている。  キンッ——。空気を切り裂くような音が響く。  相手の曲剣を軽く受け流し、すかさず踏み込みながら、セレスさんは細剣を反転させ、相手の腕から曲剣が落ちるのを確認するや否や、体を低く構えたまま、素早く背後に回り込む。 「終わりよ……」  囁くようにそう言ったセレスさんが相手の足元を鋭く切り付ける。男が崩れ落ちると、剣先は一瞬で喉元に突きつけられた。  ワルターさんを取り囲むように複数の襲撃者が曲剣を掲げる。  が、彼はそれをまるで意に解さぬかのように一歩前に踏み出すと、じっくりとその腰の長剣を抜いた。  その動きには一切の迷いが無く、剣の重量感が腕に自然と馴染んでるようにも見える。 「これ以上、踏み込むのなら……容赦はしない」  低く、重々しい声で告げると、相手の男達が一瞬ひるむ。その隙を見逃す訳もなく、ワルターさんは大地を踏みしめ、剣を水平に振り抜いた。  ——ズバッ!  空気を切り裂く音と共に、ワルターさんの剣が、真っ直ぐ敵の腹に向かって進む。相手が構えるよりも早く、剣は相手の体制を崩し、剣先が深く食い込む。 「グッ……!」  襲撃者がよろめき、倒れる。しかし、ワルターさんはそれを確認する暇もなく、後ろから襲いかかるもう一人の男の気配を察知していた。 「遅い」  彼はその言葉と共に、軽く振り返り様に剣を高く振り上げ、相手の斬撃を一撃で弾き返す。  その衝撃で男はバランスを崩し、ワルターさんの剣が再び振り下ろされる。  今度は垂直に、上から下へ——まさに重戦車のような勢いで 「……これで終わりだ」  その一撃で相手の武器を粉砕し、完全に無効化する。  これだけの戦いの中、彼は息を乱す事なく、冷静に長剣を戻すのであった。  何と言うのか……ワルターさんの強さは想定内だったが、あのセレスさんまで、こんなに強いとは。  あの人、司祭、だったよな? 史上最年少の。どうなってるんだ? 「ウワァァァーン、アシュレイお兄ちゃんー!」 「こっちだ、ミリー!」 「ボスー!」 「リアン、任せるのだなー!」  襲撃者に取り押さえられる前にバルの一撃から、セレスさん、ワルターさんが前面に出る事でミリーとリアンは走って逃げてくる。  その手を握り締め、俺とバルは突破口を探そうとした、その時だった。 「クククッ! 流石だな、咄嗟に罠に気付くとは。だが、その抵抗もそろそろ終わりにさせてもらおうか」  聞いたことのある冷酷な笑い声。  空気が張り詰め、周囲の空気が一瞬、止まったような錯覚も覚える。その中心にいたのは右眼に眼帯をしたモノクルの男。  ——あの時の隻眼のピエロか!?  レイチェルの背後からその身体を引き寄せ、その腕に絡め取られたまま、その冷たい刃が彼女の喉元に当てられている。 「レイチェルッ!!」    くそッ! なんて迂闊だったんだ、俺は!  ヤツは俺を嘲笑うかの様に白刃をレイチェルの喉に突きつける。わずかでも動けば、その喉を掻き切る、と言う様に。 「一歩でも近づけば、この美しい判事様の命はここで終わりだが。……さて、そこの娘と交換してもらおうか」  冷ややかに脅し——リアンとの人質交換を脅してくる。 「……こんなことして、ただで済むと思ってるの!? あなた達なんて、直ぐに憲兵達に捕えられて法廷に掛けられるだけよ。……今、この手を引くならその罪を軽くする様、私が掛け合えるわ。考え直しなさい!」 「フッ、この状況下で判事殿はよくもまぁ、このオレと交渉が出来るとおもっているなァ……それは他のヤツらも同じ考えか?」  いくらなんでも、人質に捕えられてる癖にそれはムチャ過ぎるだろ、レイチェル!?  曲剣を突きつけられたままにも関わらず、いつもの強気な態度を崩さないレイチェルにピエロは呆れた風な口調で俺たちに問いただす。  ——レイチェル! 「いけないわ、焦っては」  一歩、踏み出しかけた俺を、横にいたセレスさんが細剣で前を遮って止める。 「レイチェルさんを、救いたいんでしょう? アッシュ君」  ……わかってる。わかってはいるんだ……  くそっ! 考えろ、考えるんだ!  俺だけじゃない。ワルターさんもバルも苦々しげに睨みながら足を踏み出せずにいた。 「ふん、他の方々には理解はしてもらえてるみたいだな。……まずは武器を下ろしてもらおうか」  ヤツの言葉に俺たちは従うしか無かった。  セレスさんが細剣を、ワルターさんは長剣を……そして、バルはレイチェルとリアンの顔を見比べ、逡巡しつつも両手のメリケンサックを地面に投げ捨てる。 「ダメよ! アッシュ! このままじゃ!?」  叫ぶレイチェルの喉元に白い刃が突きつけられる。ミリーも、リアンですら何も言葉を発せず立ち尽くすしかない。  付近に倒れていた男達が起き上がり、俺たちを捕らえようと近づく。  このまま、セレスさん達まで捕らえられてしまえば、全てが終わる。だが、レイチェルに突きつけらたあの刃を、アレをどうにかしなければ——  何か、何かないのか!?  カァー、カァー……  聴き覚えのある鳴き声が宙から聞こえた。  アレは……。 『またビー玉、取られたのよね……』  ——カラス! そう、奴だ! 「レイチェル! ネックレスを出すんだ!」 「!? わかった!」  俺の言葉に身を捻って、自身の紅玉石のネックレスを胸元から出した瞬間。 「何をする!?」  黒い影がレイチェルとヤツを襲う。 「コイツ!?」 「今だ! バル! セレスさん!」  俺の言葉に2人が地面の獲物を拾って走り出す。  飛び込んだ黒い影——カラスに襲われた隙にヤツの腕から逃げ出そうとするレイチェル。  ヤツはその刃を振り翳し……  カラスがその嘴で摘み挙げたネックレスのチェーンを刃が断ち切る。  バラバラになるネックレス。  紅玉石が飛び散る。 「チッ! ここまでか……撤退しろ!」  形成不利と悟ったヤツは、部下達に素早く指示を飛ばし、周囲の襲撃者たちは一斉に草原近くの森——ヘルベの森へと走り去って行った。 「ウワァァァーン、怖かったよぉー」 「ううー、ボスーー!」  ミリーとリアンの泣き声がこだまする中、俺はレイチェルに近づく。  彼女は逃げ出そうとした体制のまま、そのまま、地面にへたり込んでいた。 「……大丈夫だったか、レイチェル。怪我は無いか?」 「……大丈夫。大丈夫よ……」  そこには先程までの、あの強気な態度は全くなかった。 「大丈夫……問題ないから……問題……ない……」  だが、その言葉とは裏腹に彼女の瞳は虚ろだった。  その座り込んだ地面の前にあるのは。  バラバラに千切れた紅玉石のネックレス。  レイチェルはそのネックレスの残骸を、ただジッと眺め続けていた。  手元の懐中時計は11:40。まだお昼前の出来事だった。 ⭐︎⭐︎⭐︎
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