りんごが落ちて、

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「昔はこのあたりも全部焼け野原だったのよ。下町のほうなんて生きてる人を探すほうが難しかったくらいで、お姉さんと手をつないで泣きながら歩いてね……」  浴槽の脇に取り付けられた銀色の手すりを握りしめたまま話し続ける利用者の声を、私は彼女が使ったシャワーチェアに洗剤を吹きかけながら聞いていた。本来、利用者が入浴中に目を離すのは危険であり、こうした掃除は利用者が風呂場から出た後に行うのが望ましいが、次の入浴予定が詰まっていて、少しの時間ですら惜しい。はみでた時間はそのまま私の昼休みの時間を削るのに使われる。 「大変でしたね」  私は声にできるだけ憐憫をにじませる。例えこの話を聞くのが百回目であったとしても、彼女が入浴のたびに子どもの時体験した戦争の話をするものだから、私もそらんじることができるようになっていたとしても。 「でもね、お兄さんのほうが大変だったのよ。早稲田の政経学部を出たとっても頭のいい人だったのに兵隊に取られて、海の上で死んじゃったの。飛行機に乗ってね、アメリカの船に突っ込んでいくのよ。片道分の油しかなくって……。まだ二十三歳だったのよ。お嫁さんもいたし、したいこともたくさんあったでしょうにねえ、お姉さんも早くに死んで、私ばっかりこんなに長生きしちゃった」  ほほほ、と上品に笑った。もういつ死んでもいいと言ってはばからない彼女は、それでも溺れたら怖いからと手すりを手放さない。  敵艦に自爆攻撃をする特攻隊の話は、私も日本史の授業の合間に先生が話していたから知っていた。我が事のように想像するにはあまりに時代が遠くなってしまって、悲劇のコンテンツの一つにすぎなくなった話を、自らの肉親の死因として語られると、離れ小島だった自分より年下の若者の死が突然地続きになって困惑した。  私たちは死を喪失だと感じる。特に若い人間の死には動揺し、特別な意味を持たせたがる。玉砕した若者たちの死が現在の平和を作っている、彼らのぶんまで一所懸命に生きよう、彼らのことを覚えている限り、彼らは私たちの心に生きている――こうしてもぎとられた命のせめて内側を、必死にすくい取ろうとする。 「お兄さん、無念だったでしょうね」  私は相槌を打ちながら、無念ではない者などいるのだろうかと思った。  私が明日死ぬ運命にあるのだとしたら、それはとても残念だ。明日は見続けてきたドラマの最終回だし、再来週には千秋と飲みに行く予定もある。お金を貯めているのは今より少し良い部屋に引っ越すためだし、将来猫を飼いたいとも思っている。それらが全てこちらの都合もお構いなしにぶつ切りにされてしまうのは、とても不合理にさえ感じる。  きっと品野くんもそうだった。彼のパソコンの中にはきっと、書きかけの原稿や小説に起こすために書き留められた未消化のネタ、細部までは決定されていないプロットがあった。  目の前の利用者も、死にたくないから手すりを持っている。高齢者が死にたがるのは、思った通りに身体も頭も動かないから、「こんな状態で生きているのが辛い」というのと同義であって、「死にたい」わけではないことが多いのかもしれない。  満足して死んでいける者がいないなら、死はみな青いのだ。  波の下に沈んだ者たちも、品野くんも、それから林先生だって。 「死んだらお兄さんにもお姉さんにも会えるから、それだけが楽しみなの。まあ、こんなおばあさんが行っても、お兄さんたちには誰だかわからないかもしれないわねえ」
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