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ここまでくるとなかなか生物に出会えない。唯一シンカイエソのみ。
この魚には大きな特徴がある。頭が平べったい、下顎が長い、ギザギザした鋭い歯をもつ。それらより大きな特徴。
彼らはなんとオスとメス、両方の生殖器官をもっている。つまり雌雄同体なのだ。
生物が少ない深海では出会いがないため、二匹が出会えば繁殖が可能となっている。厳しい環境では、生物は性別を超越してしまう。
では性差や男らしさ、女らしさとはいったい何なのだろうか。少し哲学的なテーマが思い浮かぶ。
また、生物ではないが、海底に灰色のブロックが複数並んでいた。
初めて見たが『クジラの背骨』だ。
亡くなったクジラはここで貝類やワラジムシ、カニなどの貴重な栄養分となる。長ければ三十年は持つらしい。
肉体は喰われ、頭蓋骨や前肢の骨も無くなり、背骨の錐体一つ一つのみが並ぶ。こうなるまでには相当な年月が経過しただろう。十年はくだらないはずだ。
小さな生物群がクジラの背骨をマンションのようにして集まっている。
プランクトンや小魚を食べてきた巨躯のクジラも終わりを迎えたら、彼らの糧となるのだ。ライトで照らされた灰色の骨は、海の底の底で、俺に命の循環を感じさせた。
ホテルに戻って、いつものように体調を測定。この日は当番の俺が晩飯を作った。
いつも好評なカレーライスである。
焼きそばやカレーなどは万国共通で人気だ。シンプルな作りなのがいいのかもしれない。
Ⅾの作るフランス料理も絶品だが、「次は深海魚のソテーを作ろうかな」と漏らした時は、俺とエリンで必死に止めた。
《八月二十日・一万九百メートル》
とうとう、海中ホテルはマリアナ海溝の底まできた。
世界で一番深い場所を観察窓から覗く。暗黒空間がどこまでも続いている。部屋の明かりも吸い込まれていく。潜水服でも耐えられない、千キロの水圧。ここに生物がいるなんて信じられない。
一万九百メートル先へ行きつくのは、潜水艦を使い数時間でできることだが、宇宙に行くより大変だと言われる。
なぜなら宇宙に出たのは五百人以上いるが、この水深までたどり着いたのは、たった十三人だから。
やはり生物にはほとんど出会えず。
カイコウオオソコエビを見かけたぐらい。
近くに熱水噴出口があるのかもしれない。熱水噴出口とは、地熱で熱せられた水が噴出する大地の亀裂のことだ。そこから生じるメタンや硫化水素から、オオソコエビはエネルギーをもらう。赤みがかった乳発色の脚を盛んに動かしていた。
太陽光に生涯縁のない彼らだが、そんなことを歯牙にもかけない力強さ。
潜水服が強化されたら、また潜って観察したい。
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