1 怪しげな電子メール

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 六月も半ば、夏が始まった感のある日の昼下がり。俺は勤め先の海洋大学にいた。環境に配慮したわが大学は冷房を二十八度に設定しており、部屋は蒸し暑さに満ち満ちている。  教員の個室は研究室内にあって広くはないのだが、それでもまるで冷えない。  学食で二百八十円のうどんを啜り終え、個室でパソコンを開くと、奇怪なメールが届いていた。  大学代表アドレスにきたメールの内容を見もせず、そのまま転送する庶務課のおばちゃんの豪胆さよ。 「稲田さん、このメールどう思う?」  団扇を仰ぎながら、ドクター二年の稲田沙織(いなださおり)を呼ぶ。  彼女は自分と違って立派な研究者の卵だ。大学院を卒業後はそのまま、この大学の海洋科学部で雇用されるだろう。もしくは他大でも引く手あまたか。  津波の脅威に常にさらされている日本にとっては、彼女の研究はとても有意義だ。  昨夜も書きかけの論文『テトラポットにおける波の打ち消し効果について』に出てくる数式を、高精度計算シミュレータ―で確認していた。  採用時は俺と同じ資格、助教でスタートだろう。  なぜなら彼女はすでに、教員の資格審査内規における──協会誌等の掲載論文が三編以上の研究業績を有する、という条件(これも庶務課のおばちゃんに教えてもらった。他人の人事には異様に詳しい)を満たしているからだ。  輝かんばかりの未来が待っている稲田さんに比べて、俺のキャリアは風前の灯火である。  というのも、本年度で大学勤務が五年目になり、助教の任期が終わるのだ。  冬には次年度の更新を迫られてしまう。更新時にもやはり、三編は論文掲載が必要なのだが、遅筆な俺はいまだ二つしかない。あと一つ書きあげなければ、委員会審議の俎上(そじょう)にものらない。  こうなったら、稲田さんに土下座して論文の共著者として連名させてもらおうか。  いや、海洋生物の生態がテーマである俺が、防波について語ることは不自然だ。無理があるな。  稲田さんが部屋に入ってきた。  午前中は水工実験を行っていたのだろう、黒いTシャツにジーンズ姿だ。  ちなみに俺はアカハラ対策で、個室の扉は開けっ放しにしている。今のご時世は怖いもので、指導をクリアにしていないと、いつ学生に訴えられるかわからない。  先月に開催された教授会の資料にも、三年生の女子が海洋政策科の教員に言い寄られたという案件が載っていた。  加害者は同期でお洒落な奴だ。だが、けして女にだらしない人間ではない。不自然に思っていたところ、噂で(また庶務課のおばちゃんから)彼に恋した女子学生が二人いて、片方が凶行に走ったと聞いた。  事務局で捜査委員会を立ち上げ、根も葉もないということが分かったそうだ。  恋の暴走機関車は恐ろしい。はねられた同期はメンタルを重傷にして、大学に来ていない、、。
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