ただいま

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「ただいま」 「ただいま」  言ってから家に誰も人がいないのを思い出した。1ルームの狭いアパートが我が家だ。ベッドやちゃぶ台を入れたらほかは何の家具も入らない。テレビもない。娯楽といえばノートパソコンで見るユーチューブくらいだ。大学進学のために地方から出てきた。親の目のない気楽な一人暮らしは気分がいいが、昼も夜も一人という生活はなかなか慣れない。無音の部屋に一人でいるのに耐えきれず、帰るなりパソコンをつけて動画を流す。  ラジオ代わりに人の話し声を聞きながら家事をする。たまった食器を洗い、洗濯物を洗濯機に入れ、シャワーを浴び、歯を磨く。動画は人が話しているものだったらなんでもいい。ラジオの独り語りからバラエティ番組みたいなもの、歴史や地理の教養番組まで、なんでも聞き流していた。自動再生設定で、興味がありそうな動画が延々と垂れ流されるから便利だ。怪談話がその自動再生リストのレパートリーに加わったのは最近のことだ。 「もしリスナーの中に一人暮らしの方がいたら、絶対に帰宅したときに「ただいま」と言わないでください」  いつものように食器を洗いながら怪談話を聞いていると、初めて再生した聞き慣れない動画チャンネルのパーソナリティがそう言ったのでおや、と思ってワイヤレスイヤホンのボタンを調整して音量を上げた。 「皆さんは言霊(ことだま)という言葉をご存知ですか? 言葉には魂が宿ります。発せられた言葉には力があるのです。ただいまといえば必ずそれがなにかを生みます。もし言ってしまったとしても絶対に耳をそばだてたりしないでください。「おかえり」という声が聞こえてしまったらそれは……」  そのタイミングでぷつりと音声が切れたので驚いて手元が狂った。カシャン、という音とともにお気に入りだったコップが手から滑ってシンクの角にあたったせいでヒビが入ってしまった。ため息をつきながらコップを袋で包み、パソコンを確認すると、なんのことはない。電源につなぎ忘れていたために電池が切れているだけだった。続きが気になったので電源を挿してパソコンを再起動し、動画を探すが、履歴のなかにその動画はみつからなかった。ただいま、という検索ワードでその動画を探してみると似たような動画は見つかるが、同じパーソナリティの動画はない。  どういうわけかその怪談の話が気になって、しばらくは気を付けていた。「ただいま」と言いたいのをぐっと我慢して玄関から入り、沈黙のなかでパソコンの電源をたちあげる。あれからたくさんの動画を聞き流しているが、あの動画は見つからなかった。  そんなある日、生活費の足しにしようと始めたコンビニのバイトで疲れて帰ってきた深夜、うっかり忘れて「ただいま」と言って玄関から入ってしまった。ぴりっとした緊張が走った。言ってしまってから部屋の雰囲気が変わるのを感じた。誰かから見られているような、そんな気配だ。耳をそばだててはいけないとわかっているのに、幹線道路から離れたアパートの周りは静かすぎる。急いで動画を流すためにノートパソコンを開き、ボタンを押す。ロゴマークが画面に現れるとどこか安心してため息がもれた。OSが立ち上がる画面がプログレスバーで表現される。10%、20%。60%、70%。もうすぐいつもの画面だ、と安心した次の瞬間、おなじみの青い画面が突然ブラックアウトし、ノートパソコンの液晶画面に自分の顔が反射する。かっと目を見開いた自分の後ろに誰かの顔がある。男か女かもわからない。身体が硬直して動かない。そいつは口をかすかにあけて言った。 「おかえり」 了
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