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一礼し、客間から出て行こうとしたハイドとウィルクスに向かって、アイザックが言った。
「わたしはもうおまえとは無関係だ。だからおまえも、家のことは気にするな。自分の身だけを護れ」
その目は静かだ。アイザックの、シドニーに対する家長としての役目が、これですべて終わったのだ。
フレデリックはハイドに向かって、こう言葉を掛けた。
「子どものころ、冷たく当たって悪かった。大人になった今、いろいろな事情があったということがわかる。いや、それをわかりたくて、わたしは哲学者になったんだ。――『感情には、理性にはまったく知られぬ感情の理屈がある』。パスカルの言葉だよ。わたしたち三兄弟は、その言葉の通り大きくなった。今、理性でも感情でも、おまえに寄り添いたいと思うよ、シド。……ザックの言う通り、自分の身を護れ。そして、おまえとウィルクスさんに幸せになって欲しいと思う。だが、これだけはお願いだ。『この世』で幸せになってくれ。おまえが大学時代に選んだことを二人で選んで、もう一度わたしとザックをとり乱させないでくれ。……おまえとウィルクスさんが死んだら、わたしは悲しいよ、シド」
ハイドはうなずくか、うなずかないか、曖昧に頭を揺すった。彼はウィルクスの手を握り直した。ウィルクスは客間を出て行くとき、振り返って二人の兄の顔を見た。
――弟の旅路を祝うには、二人とも怖い顔をしすぎてる。
それがウィルクスには妙におかしかった。
そして、涙が込みあげた。
ハイドが手を引く。ウィルクスは一言もしゃべらず、恋人の後をついていった。
外に出ると、月がさっきよりも大きく、まるで鏡のように空にあった。白い星がその周りを取り巻いて、小粒のダイヤモンドのようにきらきらと光っている。
空気は冷たく澄んでいた。
「やっと二人きりだな」
そう言って、ハイドが笑う。彼は握っていた手を離した。ウィルクスがハイドの顔を見つめると、年上の男は言った。
「帰ろう、ウィルクス君」
「あなたの家へ?」
「いや、別荘だ。セント・アイヴスにある、あの場所」
ハイドが歩き出す。ウィルクスもついていく。
二人は言葉を交わすことなく、歩き続けた。
やがて鉄道の駅にほど近い宿屋に辿り着くと、そこで別々の部屋を取り、朝まで離れて眠った。
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