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ウィルクスは夢を見た。
いろいろな映像が、万華鏡のように次々と現れる。『親愛なるご主人様へ』と書かれた手紙、ウェブリー・リボルバー、緑色のシーグラス、グレーのガウン、車椅子、聖書、たくさんのティーカップ、もうもうと黒煙を上げながら突っ込んでくる列車……。
ウィルクスはうなされて、ベッドの中で何度も寝返りをうった。しかし、次の瞬間。夢の中に出てきた人物によって、心はたちまち安らいだ。
一度も会ったことがないのに、彼女がアニーだと、ウィルクスにはわかる。
黒髪で、奥まった一重で、鼻の先が潰れていて、痩せぎすで。決して美人だとは言えないアニー。しかしその笑顔は、神に祝福されていた。ハイドの言葉を借りれば「マリア様」だ。アニーは聖母マリアのように、人の弱さを見つめることのできる強さと、弱い者に寄り添える弱さを同時に持っていた。
彼女はウィルクスの隣に腰を下ろすと、真剣な顔で囁いた。
「あなたは知っています。シドニー坊ちゃんの涙を。坊ちゃんの涙に気がつく人は、これまでほとんど居ませんでした。だから、あなたの深い愛情が、傷より力強く坊ちゃんの心を充たしますように」
ウィルクスはアニーに向かってうなずいた。
すると、乳母は微笑んだ。
「でも、いいのよ。永遠に心が充たされることがなくても。それもまた、人生。わたしは、愛おしいわ」
アニーの姿は、闇に消えていった。
だが、彼女がウィルクスに与えたものは大きい。アニーの言葉の中に息づくなにかが、ウィルクスに覚悟を決めさせたのだ。
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ウィルクスが目覚めると、彼の胸にはあたたかな光が宿っていた。アニーが宿した光だ。ウィルクスはベッドに起き上がり、痩せた胸を服の上からさすってみた。そこに、間違いなくアニーが居る気がした。
ウィルクスが自分の胸を撫でながらぼんやりしていると、扉にノックの音。完璧に身なりを整えたハイドが中に入ってきて、笑っている。彼は扉を閉めると、ベッドのそばに歩み寄った。
「まだ寝てたのか? 着替えて食事に行こう。それから、セント・アイヴスまで列車の旅だ」
早く起きて、とせかされても、ウィルクスは夢の余韻に浸っている。彼は肌蹴たシャツの胸元を整え直すと、ハイドを見つめた。
「セント・アイヴスに行ったら、どうするんですか?」
「ん? しばらく二人で過ごすのもいいかと思ってね。もう、ぼくらの邪魔をする人間たちはいなくなった。まあ、ミセス・ウィッタムには多額の金を要求されるかもしれないが、彼女が善良な人間であることを祈ろう」
「二人っきりで過ごすなんて、素敵な提案です。だったら、おれからもお願いがあるんです」
「お願い?」
「別荘で、抱いてください」
「……ウィルクス君、声が大きいよ。ぼくは、そのことに関しては、そもそも――」
「あなたとなら、地獄に堕ちても構わない」
ハイドは黙ってウィルクスを見つめた。ウィルクスの心臓は早鐘のように打っている。それでも、心は静かで清々しかった。
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