9.幸せであるように

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「地獄の責め苦は怖いけど、でも、構いません。昔、同性愛で捕まった男たちがされたように、例え肛門に焼けた鉄を押し込まれようが、それでもいい」 「……そんな目に遭わされるとしても、神を信じていたいのか?」  ウィルクスはわずかにうつむき、かすかに笑った。 「確かに、変ですね。でも、おれが信じたいか信じたくないかとは別に、やっぱり神は居ると思うんです。それはおれの育った環境とか、受けた教育とか、子どものころ毎日教会に通っていたことが、根底にあるのかもしれない。おれは親や牧師の先生や、教師や、周囲の大人たちによって、神というものを信じるように教育されてきたのかもしれません。でも、じゃあ『神なんて作り物だ、嘘だ』とは言えない。おれの神は、居ます。いつも、恐ろしい父親のようにおれのことを見ている。……あなたと話していて、今、気づきました。やっぱり、おれは神に愛されたいんだと思うんです。でき損ないのおれでも、神に背くしかないおれでも、愛して欲しかった」  突然、ウィルクスは思い出した。日曜日、教会の礼拝から帰ってきて、父と母とエドワード、三人で過ごした午後のこと。居間のソファで、父が息子を膝に乗せ、母はホットミルクを出してくれる。それから、彼女は絵本を読み始める。少し甲高い声で、『ノアの箱舟』を題材にした絵本を。  父は珍しく機嫌がいい。明るく笑っている。父の膝の上で、エドワードはお行儀よくしていた。  滅多に味わったことのないこんな時間が――絵本を読む母の優しい声が、見上げた父の笑顔が、エドワード・ウィルクスは好きだった。  そしてエドワードが十四歳のときに母は亡くなり、父とはますます疎遠になった。今はもう、喪われてしまったものたち。  ウィルクスは顔を上げて、目元を歪め、立ったままのハイドの手首を掴んだ。 「……やっぱり、怖いです。地獄に堕ちるのは。ハイドさん、堕ちるときはずっと抱き締めててください」 「わかった」  ハイドはベッドの縁に腰を下ろすと、ウィルクスの頭を胸に抱き寄せた。ハイドの手が、ウィルクスの後頭部を撫でる。 「君がいっしょに地獄に堕ちて欲しいと言うのなら、ぼくは喜んで堕ちるよ。ただ、ぼくは神も地獄も信じていない。それでもいいのか?」 「構いません」 「そうか。まあ、信じていないと言いながら、死後に堕ちていくのもいいな。報いを受けた、という感じがして。ぼくは神を信じていないが、因果応報は信じている。人は生きているときに、あるいは君のロジックでいくなら死んだ後に、してきたこと、それ相応の報いを受ける。父が好き放題生きた報いを受けたのなら、ぼくだって受けるはずだ。君とセックスしたことが因果応報の理由なら、とてもロマンチックだよ」  そこでハイドは少しだけ黙った。そう、とてもロマンチックだ――と、自分に言い聞かせるように繰り返す。ウィルクスはハイドの腕を掴んだ。 「おれと、堕ちてくれますか?」 「ああ。堕ちるよ。……でも、ぼくは」  ハイドはゆっくりと息を吸った。逞しい顎がわずかに震えた。ウィルクスの頭を抱いたまま、つぶやく。 「ぼくは、怖い。地獄に堕ちることよりも、この世で君と離れ離れになることが」  ハイドは息を吸って、身じろぎ一つしない。ウィルクスはハイドのタイに頭を押しつけて、恋人の胸の上下動を感じている。
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