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ハイドが窓を閉めた。風が冷えてきたからだ。
ウィルクスは沈黙が続く車内で、漠然とした不安を感じていた。
確かにはっきりしない、と思う。
――ミス・メアリ・ターナーが私立探偵を雇って父親の素性を調べたというのなら、そもそも遺言状には(遺言状というものがあったとして)ハイド家についてなにも書かれていなかったのではないか?
もし遺言状にハイド家の名前が出ていたとしたら(爆弾を仕掛けていたとしたら)、わざわざ素性を調べる必要はない。
――いや、ジェントリのハイド家は、他にもたくさんあるのだろうか? 遺言状の文言では、とうてい素性に辿り着かないような?
そこまで考えて、ウィルクスは「あるのか無いのかわからない遺言状」に足を引っ張られていることに気がついた。
――手札が少なすぎる。カードのほとんどがテーブルに伏せて置かれているのに、情勢を見極めるのは困難だ。
ウィルクスは、刑事をしていたときのように考えこんでいた。そんな彼の様子を窺いながら、ハイドがこう付け足した。
「ちなみに、『まずいものが出てくる』という点だけで言えば、父が送ったラブレターも調査の対象になるかもしれないな。そんなものがあるとしての話だが。父は甘ったるいものがあまり好きではなくて、ラブレターはほとんど送らないか、送っても相手に確実に処分させていたようだから、残ってはいないかもしれない」
ランスロットは遊び人だったがゆえに、証拠を残すことを嫌ったのかもしれない、とウィルクスは思った。
さらに考えこむ元刑事の耳に、ハイドがこう言う声が、ふと入ってきた。
「あの、兄さん。ウィルクス君に、調査を手伝ってもらって構いませんか?」
「わたしは構わないよ。ウィルクスさん、知り得た秘密は他言無用で、厳守してもらうことになるが――」
「刑事でしたから、そのへんはわかっています」
「なら、大丈夫ですね。ただ、ザックがなんて言うかはわからないが――」
ハイドが重ねて言う。
「ぼくからアイザックに頼みます」
「驚いた、ザックに苦手意識を持っているおまえがそこまですると言うことは、本当にウィルクスさんの力が必要なんだな」
ハイドは黙った。ウィルクスが先の読めない展開に、鼓動を昂ぶらせながら成り行きを見守っていると、ハイドはぽつりと、
「ウィルクス君が居てくれれば、ぼくはなんでもできる気がするんですよ」
ウィルクスは思わず、顔を赤らめそうになった。彼が慌ててうつむくと、頭上にフレデリックの淡々とした声が降ってきた。
「そうか? なら、ザックに掛け合ってみてくれ。善き友人は、確かに王よりも拳銃よりも勝る。……なあ、シド。ウィルクスさんのこと、大事にして差し上げなさい」
ウィルクスが顔を上げると、フレデリックは微笑んでいた。それとはわからないさりげなさで、でも、確かに。
ハイドはほっとした顔をして、「はい」と笑顔になる。ウィルクスは目礼した。
やがて、列車はロンドンのパディントン駅に滑りこんでいく。
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