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「念を押すけど、本当にここに住みたいのね? パパを説得するからにはそれなりの本気じゃないと難しいけど」
「本気だよ! 掃除だってなんだってするから!」
「そういうんじゃなくて、君に【ここの子】になって貰うわ。それでもいい?」
「ここの子、って……」
悠希からいつの間にかユルい空気が消えているのを、少年はようやく察した。冷房の効きを差し引いても室温が下がったような錯覚。
「ウチって喫茶店以外にもいくつか仕事をしてるからさ、関係ないひとに住み込みまでさせるのは難しいんだよね。だから【ここの子】になって貰うの。あたしの弟になるわね。あたしのパパを君もパパって呼ぶの。今の親とはもう二度と会わせない」
「え、えっと……」
「学校も転校させるわ。学校の先生や友だちも今の親と面識があるでしょうし、足がついて怒鳴り込まれたりすると困るのよ。未成年って扱いが難しいから。でもいいでしょ、もう帰りたくないんならさ」
一方的に畳み掛けられる条件に少年は狼狽していた。
「それくらいの本気が、君にあるってことよね?」
じっとりとした笑みを浮かべて覗き込むように見つめてくる悠希に、彼は即答出来なかった。出来るわけがない。彼女の言っていることはめちゃくちゃだ。けれども、ここであると答えれば本当にそうするだろうと思えるだけの迫力が、今の彼女にはあった。
悠希はつまみを頬張り酒で流し込んだ。少しの静寂を経て、彼女が再び口を開く。
「今までの全部を捨てる覚悟が君にあるならあたしも協力してあげる。でも、もし今の家が、家族が、いつかは帰りたい場所なんだったら、ちゃんと向き合わないと駄目よ」
彼女は少年のほうを見ていなかった。なにか遠くを見るような悲しげな眼差しに少年は息を呑む。
「……お姉さんは、ここがそうなんじゃ、ないの?」
「んー。今は、ね。でもあたしが帰りたかった場所は無くなっちゃったの。それも二回よ、ツイてないのよねえ」
一度は幼い頃に実父が亡くなったとき、もう一度は本気だった彼氏が亡くなったとき、悠希は帰りたい場所を失った。けれどもそれは少年に聞かせるような話でもない。
「本当は顔を合わすのが気まずいだけで、帰りたくないわけじゃないんでしょ? ただいまって言える場所はいつまでもあるわけじゃないんだから、あるうちは大事にしたほうがいいわよ」
悠希も子どもにこんな言い方をして響くとは思っていなかったが、家出少年である彼に対する偽らざる気持ちでもあった。
「ん……でも……」
それなりには伝わったのだろう。とはいえそれでも歯切れの悪い少年に向けて彼女は笑う。
「そんな心配しなくたって、あっちだって気まずい気持ちになってるわよ。しれっとただいまって言って帰ってけばなんにも言われやしないわ」
「そう、かな」
「そうよ」
悠希は断言して缶チューハイを飲み干して、ニィっと笑う。
「でももし、君の親が君だけを悪者扱いしてガタガタ言うようだったら」
そう、帰る場所は安心出来る場所でなくてはいけない。少年には今それがない。だから保険を掛ける。
「そのときはもう一回家を飛び出してここにいらっしゃいな。一晩ぐらいならパパにだって文句は言わせやしないわ。本当に必要で君が本気なら、ここでただいまって言ってもいいのよ」
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