それでも愛してる

2/3
前へ
/3ページ
次へ
それでも、愛してる。 見上げた空は、堪らなく青い。 白い雲は、透けるように長く伸び、その青さを強調するかのように流れている。 寝転んで、伸ばした手は、何かを捉えたわけではない。 耳元でチリチリという音だけが響いている。 「おはよう。ご飯食べる?」 「おはよ。いや、いいよ。途中で何か買うから。」 「そ?分かった。」 「じゃあ、行ってくる。」 笑顔で手を振る。 玄関の扉が、音をたてて閉じられた。 そう、分かっている。 日曜日に出勤するふりをする理由も。 そう、分かっている。 分かっていて、笑顔で送り出す。 バイト先のダイニングバーで知り合った恭輔は、細身のスーツを着こなし、長めの前髪が似合っていてかっこよかった。 常連客の仕事仲間として紹介された恭輔は、初めから愛想が良かった。 少し緊張して頼まれた軽い食事を出すと、僕と目を合わせてお礼を言った。 軽そうな見た目とは違う礼儀正しいその態度に好感をもった。 ほんの少しの好感だったのに、ひどく印象に残った彼の大きな二重の瞳が、思い出す度、僕を縛り付けて離さなかった。 好きになりたくはなかった。 恭輔の恋愛対象が男ではないことは会話が耳に入って分かっていたから。 手に入らない人を好きなる事が苦しいことは経験していたから。 それなのに、僕を好きだと言ったのはお前なのに。 大学院2年目で就職先すら決まっていない僕からしたら、社会人でしっかりと働いている同じ年の恭輔はとても眩しかった。 先輩に紹介してもらい、どうにかこのバイトで暮らしている僕とは違い過ぎるから。 スーツを着こなし、バーで知り合った人たちとも軽く会話が出来た。 口数が少ない人見知りのバイトの僕にも、来る度に話しかけてきた。 自分のことを聞かれて舞い上がった。 少しづつ、思いは募った。 途中で、なんてバカなんだって気付いてた。 だって、望みなんてない。 また、苦しい思いをするだけだって。 分かっているのに、僕に微笑む恭輔の顔が頭から離れない。 好きだと言われて、簡単に脚を開いた。 愚かだった。 男を好きになったのはお前だけだと。 そう言われれば、信じて突きあげる快感に身をまかせた。 だって、優しく触れるから。 喘ぐ僕の体を愛おしそうに、抱きしめるから。 きっと、これは愛だと、 思えば、震えて涙が溢れて、 僕につられて、震えて涙を堪える姿を見せるから。 渡された合鍵を使って部屋に入れば、恭輔のではない香水の香りが漂っている。 休日の部屋に、無人の空間。 昨日、誰か来たのかと聞けば、 おかしくなったのかと、 俺にはお前しかいないのにと。 侮っているんだろう。 男しか愛せない僕が、お前を手離すわけはないと。 部屋に寝転んで、広い窓から空を見上げた。 気付いていないだろう。 お互い会えない時に、冷蔵庫に貼る付箋をなんとなく捨てることができなくて、僕のポケットはいつも満杯なんだ。 ポケットに手を突っ込んで取り出した付箋を頭上にかざして見つめる。   お誕生日おめでとう   冷蔵庫にケーキがあるから   食べて いらないんだよ、ケーキなんて。 その日は休みを取るって、 ドラマみたいに一緒に映画を観て、 夜景の綺麗なレストランで食事をして、 家でプレゼントを開けようかって。 プレゼントの箱に付けられたこの付箋をぐしゃぐしゃに握りつぶした。 泣きながらケーキを食べて、 びりびりと包装された紙を破いて、開けた箱の中身にまた泣いて。 指輪なんて、僕は本当に簡単でばかみたいだ。 握りつぶした付箋を開いた。 今ここにいない証拠なのに、このメモが愛おしかった。 ドラマの中の女の人みたいに、はめてもらえるわけでもないのに、 照明にかざした指輪は、涙のせいで余計に綺麗だった。 ただ、愛しているなんて、 バカみたいなことは分かっている。 でも、どうしようもないくらい、 愛していることも分かっている。 彼には僕だけじゃないのに。 恭輔が買ってきたタバコの横に、安いライターが並んでいる。 どうせ使わないのに並べられて、色とりどりのただの空間を埋めるだけの存在だ。 そこに存在していることにすら、恭輔は気付いてないかもしれないけれど。 寝転んで取り出したさっきの付箋を左手で握った。 右手に持ったライターの火を付けた。 初めて使われたそのライターの火は勢いよく燃えて、付箋の角を焦がした。 チリチリと音がする。 知らないかもしれないね。 捨てられた存在だって、こうして役に立つことがある。 何かを傷つけることだって、できるんだ。 だけど、もう、救いようがないんだ。 傷つけられて、 痛くて、 もう終わりにしようと思っても、 どうしたって、 あの日に、僕に微笑んだ恭輔の顔が浮かんで離れない。 僕は、無力であるはずはないのに。 愛しているんだ。 僕だけじゃないのは分かっている。 でも、きっといつか気づくときがくる。 僕だけじゃないと思っているのは、 僕だけじゃないって。 「おかえり。」 「ただいま。ご飯、作ってくれたんだ。俺、食べてきちゃった。」 「じゃあ、片付けるよ。」 キッチンに行こうとした僕の腕を恭輔が掴んだ。 引っ張られ、ぎゅっと抱きしめられた。 また僕の知らない匂いがした。 そっと僕の頬に恭輔が触れる。 僕だけじゃないのは知っている。 その手に頬を預けると、目をつぶって微笑んだ。 強く抱きしめられ、恭輔が優しくキスを落とした。 僕だけじゃない、それでも、愛している。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加