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解説
【メンヘラ紫式部の嫉妬】
清少納言と紫式部、枕草子と源氏物語という文学作品を後世に残した日本が誇るふたりの女性です。
二人とも、一条天皇の皇后となる藤原家の2人の姫それぞれの家庭教師(女房)でした。
紫式部より7歳年上の清少納言は、中宮(天皇の妃)定子に仕え、定子が若くして死んだ西暦1001年に宮中を退官し隠遁しました。
紫式部は西暦1005年中宮定子の後の天皇妃、中宮彰子に仕えています。
この頃には、清少納言の枕草子は相当な話題作品だったと想像されます。
清少納言は紫式部を知りませんが、紫式部は清少納言を一方的にライバル視しています。
実際自身の日記(紫式部日記)で、清少納言に対して凄まじい酷評をしています。
現代語訳すると『清少納言という人は、得意顔でとんでもない人だったようですね。利口ぶって漢字を書き散らしていますが、良く見ればまだまだ知識不足です。風流を気取って人と違うことを「素敵」と思っているような人の行く末は、決して良いものにはならないでしょう』
枕草子ではネガティブな表現は少なく、楽しそうな情景が多く見られます。
それに比べて、内向的で人付き合いの苦手だった紫式部は、枕草子から伝わる、ユーモアあふれて人気者の清少納言像に嫉妬を覚えたのでしょう。
また、紫式部日記には清少納言の悪口以上に、自虐ネタが100倍書かれています。
結婚も20代後半に(その頃の結婚は10代が当たり前)、やっと自分の親ほど年の離れた男性と結婚(この時代は一夫多妻)しますが、一女が誕生すると夫は紫式部の元へ訪れなくなります。一説には紫式部の容姿が原因だとか。
鬱メンヘラで容姿も良くない女流作家が、嫉妬の力を執筆に向けたおかげで、世界太古の運命の小説『源氏物語』が誕生したのでしょうね。
(つづく)
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