インモラル・ステンドグラス

1/1
前へ
/1ページ
次へ

インモラル・ステンドグラス

 駅から延びる道を歩いていくと国道に突き当たる。そこを越えると一気に辺りはうす暗くなる。しばらくすると、神社の横に廃校となった小学校が見えてくる。  創立百周年……だっただろうか。そのときに盛大なイベントが開かれたのを覚えている。そのことを彼女も覚えていた。しかし、何周年の記念なのかということは、はっきりしないと言っていた。  優芽(ゆめ)の家に着くまでには、もう少し歩くとのことだった。さらに山の方へと進んでいく。あの山の奥には村落が三つあって、大雪になると、村民はこちらにあるもうひとつの家へと、一時的に引っ越すのだと教えてくれた。ぼくたちがあの学校へ(かよ)っていたときに、あの村落からひとりは登校してきていただろうか。そうしたことも思いだせない。  農業高校の前にある彼女の家には、優芽とその両親が住んでいる。兄は都会で結婚して、そのまま帰ってこなくなったらしい。  優芽は、駅の裏手にあるセレモニーホールで働いていて、そこでいまの彼氏に巡り会うことができたのだと言っていた。そして、レスになっているのだという。 「宇宙葬というのがあってね、骨の一部を宇宙へ()くの」 「海に撒くのと同じように?」 「詳しいことは分からないけど、たくさんのお金がかかるのよ」  茶柱が寝ているお茶を飲み干すと、優芽は人さし指を口元で立てた。耳を()ますと、なんの音もしなかった。先ほど、学校からチャイムが聞こえてきたのを思いだした。 「大丈夫、昼寝をしているみたい」  こちらへもたれかかろうとしてくる優芽を押し倒した。それに(こた)えてくる彼女もまた情熱的だった。  朝の陽の光が山脈の稜線(りょうせん)を走っていく。そういう風景が思いだされた。不思議と、背徳感はなかった。  帰り道、廃校となった小学校まで送ってくれた優芽に口づけをして、駅へ帰っていく。  朝に、妻に言ったウソの用事の内容を考えると、のんびりと電車を待っているわけにはいかなかった。駅へ向かいながら、タクシーを呼ぶために電話をかけた。  やはり何周年の記念だったかは覚えていない。生徒たちは、思い思いの絵柄をステンドグラスで表現させられ、記念日当日には、学校の窓にそれらが()めこまれてライトアップされた。  正直、なんの感動もなかった。作っていたときのあの苦労はなんだったのか。そんなことさえ思った。  その光景を一望できるのは、道路に面した神社の隅で、もちろんそこは混み合っており、夏希(なつき)はそれを嫌がっていた。  それでも夏希は僕の隣を離れることはなく、不満そうな表情を浮かべながらも、たくさんのステンドグラスが一斉に(きら)めいているのを眺めていた。  当日は境内(けいだい)で縁日が開かれていて、僕たちは、そのために神社に来たも同然だった。型抜きに射的に輪投げに……僕ばかりが楽しんでいたのに、夏希はどこまでもついてきた。  途中から、彼女を振り払うために、わざと素っ気ない態度を取っていた。だけど別れるときになると、夏希のことが妙に愛おしく思えていた。  それからは、夏希の好きなひとは誰かということを気にするようになった。スポーツマンの浩二やムードメーカーの大輝の名前を挙げるクラスメイトもいたが、夏希はそれを否定し続けていたし、それを聞いている同級生が、夏希のことを好きなのだということも分かっていた。  彼女が口を割ることは、一度もなかった。  水産高校に進学したときに彼女ができた。彼女とは、初めてのことをいくつも経験した。だけど、関係が長く続いたわけではなかった。  別れるきっかけのひとつになった、幼稚な口げんかは、僕の評判を下げるものだった。ほとんどが、彼女の誇張(こちょう)であるという弁疏(べんそ)は、なぜか通らなかった。  そんな僕に告白をしてくれたのが夏希だった。その後、別々の大学に進学したのに不思議と関係は続き、そういうところに運命を感じたのか、僕から結婚の話を切り出した。  しかし永久(とこしえ)の愛を誓ってから三年も経つころには、レスになった。  そして同窓会の日の夜、誰もいない校舎裏で優芽としてしまった。  優芽の家へ通いはじめてから半年が経った。仕事場で知り合った彼氏は、別の女性の元へ行ってしまったらしい。彼女は清々しそうに、そううそぶいた。僕はといえば、見かけは幸福な家庭を持っている一方で、夏希とのレスに悩み続けていた。  ベランダから花火が見えるのだと優芽は言った。適当な用事をこしらえて、優芽の家へ行くと、それと前後して、山際から花火が打ち上がった。ぬるい風が、汗のにじんだ皮膚の上にからみつく。  そういえば、あの山の中腹には墓地がある。僕の先祖は眠っていない。しかしあの夏、僕は夏希との初めてを、そこで済ませたのだ。もう無鉄砲さを持ち合わせていない。冒涜(ぼうとく)と背徳を肩に乗せてまで、快楽を貪りたいと思う歳でもない。  しかしあのときは、そういう愛の形に熱狂していた。ふたりでなら、なんでもできるという自信があった。 「綺麗ではないけれど、風情だけはあるでしょう」 「山火事にならなければいいけど」 「あれは海の方で打ち上がっているのだから、そんな心配はバカらしいわ」 「だけど、人生にはときおり、遠近が変わってしまうようなことが……」  それ以上の言葉を口にすることはできなかった。妻を捨てる。そういう考えが頭を(もた)げそうになってしまったから。 「線香花火を買ってきたの。これが終わったら、庭でしましょうよ」  僕は、それにはなにも応えず、次々に山際から開花していく花火を、黙って眺めていた。  妻の先祖が眠る集合墓地に行った。墓経(はかぎょう)の日だったから。  盆ともなると、普段は見ない顔を見ることもある。しかし軽く会釈をしただけで、深く話し込むことはなかった。早朝の微風(そよかぜ)が、墓石の間を()うように漂っている。  僕たちもお坊さんの姿を探したが、みな別の家の墓の前で経を唱えていた。すると妻がふとこんなことを言いだした。 「あそこの中井さんのお墓のあたりで、したのを覚えてる?」  そこには、草を刈ったり、柄杓(ひしゃく)で墓石を洗ったりしている人びとがいる。 「こんなときに、そんなことを言うものじゃないよ」  僕は手の空いているお坊さんを探しながら、そう言い捨てた。すると夏希は、「ごめんなさい」と言って、くすくすと笑った。 「なかなか、来てくれるひとはいないね。ちょっと暑くなってきたし……参ったなあ」  そう言いながら、反対のところを探そうと振り向いたとき、まず僕の視界に映じたのは、目に涙を浮かべている夏希だった。  〈了〉
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加