後編

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後編

 社長室に案内され、二人の前に飲み物と焼き菓子が運ばれてきた。 「おいしそう!たべてもいい?ゆりまま」 「ええ。いただきますしてね」 「はーい、いただきます」  手を合わせて小ぶりのマカロンやフィナンシェに目を輝かせる。モールに来れば必ず立ち寄るパティスリーの人気商品だ。 「すみません。ご迷惑かけた上にお気遣い下さって」 「とんでもない、こちらこそ……。お行儀のいいお嬢さん『ゆりまま』と呼ばれているんですね」 「娘がそう呼ぶので真似て。お婆ちゃんって言うと老けたみたいで嫌なんですって。もうお婆ちゃんなのにね」 「そんなことないですよ」  向かい合った二人が同じタイミングで微笑む。  出されたジュースを飲んだかなえは、再び小さな手を合わせてごちそうさまを言った。頬についた菓子の欠片を取ってやり、ゆりは自分も紅茶を飲み一息ついた。  すると、もたれ掛かったかなえが寝息をたて始めた。 「あら」  いつもなら買い物を済ませ帰りのバスで眠っている時間だ。肩を揺すり起こそうとした。 「かなえ……」 「ああ、よかったら休ませてあげて」  確かにぐずった子供を連れて移動するのも大変そうだ。 「すみません、お言葉に甘えて少しだけ。毎週電車とバスを乗り継いでピアノを習いにきてるんです。娘が働いているもので」 「娘さん……がおられるんですね」 「え?ええ。……夫の連れ子ですけど」  二十歳で恋人と別れたが、三十五歳のとき妻を亡くしたばかりの今の夫と結婚した。五歳の娘は実の母のことが忘れられず、ママじゃないとすぐには懐いてくれなかった。目の前の幼子を見ると無理もないことだ。  今では好きなことを言い合い、時には喧嘩をしたりもする。本当の親子だと思っている。 「それで『ゆりまま』さん。ご苦労なさったんですね」 「そんな、あなたこそ。いえ……社長の息子さんって大変なのでは」 「どうでしょう。父は仕事人間で母も忙しくて家にあまりいなかったけど。そう言えば『行ってらっしゃい』も『お帰り』も言われたことがないですね」 「そんな」 「だから一度でいいので言ってもらえませんか?…………お母さん」  彼はゆりをまっすぐに見た。 「ああ……」  何も知らずに育ったのだと思っていた。会いたくて、いつかこの手で抱きしめたかったけれど、元気で幸せにいてくれればいいと我慢してきた。 「母に辛く当たられた訳ではないんです。ただ無関心と言うか……。親同士が決めた許嫁で、父を待っていたら他人が生んだ子供を育てろなんて無茶な話ですよね。実の子でないと知った時に安心したくらいです」  ゆりの頬に熱い涙が伝う。 「母が亡くなり父は病気になってからあなたの話をよくしてくれました。まだ学生の時分に恋をしてぼくが生まれた。跡取りなど考えてもいなかった三男坊の父が、二人の兄の事故死で家を継ぐことになったと。生まれたばかりのぼくは重い病気で、勘当されてしまえば手術代もない。それで祖父の言いなりになったのだと」 「ごめんなさい、許してなんて言えない。でもそうするしかなったの……」 「謝らないで下さい、お陰でぼくは生きています。先月……店舗で偶然あなたを見かけたんです。父が持っていた写真の母に似ていた。確信もなかったし、いきなり声をかけて驚かせてはいけない。それでとっさにあの歌をかけるように頼んだんです」 「シェルブール!」 「はい。あなたは足を止めて懐かしそうに聞いていた。また来てくれるのではないかと毎日同じ時間帯に父が教えてくれた曲をかけました。結局来られたのは週に一度でしたが」 「ええ」 「今日の曲は二人で観た最後の映画音楽だと聞いています。辛いことを思い出させてすみませんでした」  ゆりは首を振る。映画を観終わって妊娠したことを告げると彼は喜んでくれた。オルゴールをもらったその日のことは、辛いどころか幸せな思い出だ。  膝の上で眠るかなえが起きないように、ゆりは座ったまま両手を広げ愛しいわが子の名を呼んだ。 「おかえり、亜嵐」  息子は腕の中で初めての言葉を呟く。 「ただいま、お母さん」  十五年後。モールのシネマコーナーから車椅子に乗った老女と、若い女性が出てきた。迎えるのは社長だ。 「お帰りなさい。いかがでしたか?」 「まあまあね」 「あら、ゆりまま泣いてたじゃない」 「この子は、母親に似て口ばっかり達者で。……わたしはやっぱりハッピーエンドがいいわ」 「そうですね」 「おじさま、お仕事は終わり?何か美味しいもの食べさせて下さいね。もうお酒も頂ける年齢になりました」 「はい。家内が予約を取ってくれています」  後ろで彼の妻が手を振っている。 「かなえ、あなたほんとに。のぞみに言うわよ……」 「あら、二人が会ったのはわたしが食いしん坊だったからでしょ?」 「確かに。ぼくはご褒美をもらったんですから、かなえさんにお礼しなきゃね!」  大げさに手を広げ腰を屈めた息子の腕にゆりは抱かれた。 「ただいま、亜嵐」  やはり物語りはハッピーエンドがいい。
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