藍鼠ーあいねずー

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「わこはいつ結婚するのだい?」 「え……」  ――わかってる。ちゃんとわかっている。 (ちゃんと呼吸して。大きく吸って……、ゆっくり吐いて……)  白花だって、会話の流れからただふと疑問に思っただけ。  別に明確な答えなんて求めていないし、正解も不正解もなくて、ただ頭に浮かんだ疑問を口にしただけ。わたしが友だちの旦那さんを褒めたのと同じで、深い意味なんてないんだってわかっている。 「え、……なんで?」  なんで、なんて、間違っている。掘り下げるところじゃない。さらっと、しないよ~といえばいい。いままでだっていくらだってそうしてきたじゃない。職場でも友だち相手でも笑いながら、流してきたじゃない。  唇が歪に震える。刺さったままの棘が作ったひびの入った胸の奥を、嫌な音を立てた動悸が無神経に叩く。落ち着いたなんて嘘で誤魔化して閉じた扉を、こぶしで力いっぱい叩きつける。  わたしはこんなに動揺しているのに、白花はわたしではなくパソコンの画面を見ていた。  人気の韓国ドラマで、やっと日本でも配信が始まった話題作。わたしは今日からの配信をとても楽しみにしていたというのに、今日はもう視聴できそうにない。  折り悪く、場面はヒロインの少女と皇帝との婚姻シーンだった。白花は、画面の中の人間が婚姻するのを見ていた。  このあとのシーンをわたしは知っている。動画広告で何度も見かけたから知っている。わたしが見ているのだから、白花だって知っているのだ。  婚姻の儀は血に塗られてぶち壊されるのだ。そこからヒロインの少女の長い闘いの物語がスタートする。 「……なんで?」 「わこも子を産むのだろう? 人間は種を残すために結婚をする。これは自分の番だと力で示さずに、儀式を行うことで示すのだろう。種を残すための順序があるのだと、ひふみがいっていた。そろそろ産んでおかないと、体が辛くないかい?」  頭から冷や水を被せられたようだった。いっそ冷や水のほうが優しかった。  白花の視線はパソコンから離れ、ソファの上で身動ぎもできないわたしに向いていた。  白花の目もとは見えない。長い前髪ばかりでなく、その部分は闇のように、いつだって白花の目もとを見ることはできなかった。それでも、その視線はまっすぐにわたしの目を見ていた。 「なんで……」  堂々と目をしっかり合わすことができるほど、白花にとって、この質問をわたしにぶつけることはなんら躊躇われることではなかった。タブーでもなんでもない。意識するわたしがおかしいのだ。  だって種が違う。  白花とわたしは種が違う。  わたしだって犬や猫と結婚なんて考えない。 「なんで……」  急速に言語能力が失われてしまった。同じ言葉しか繰り返さないわたしを、白花は静かに待っていた。穏やかに、ゆったりと笑みさえ浮かべて、うまく話せない子を待つ大人のように、わたしを見守っていた。 「なんで……」 「うん」 「――っ、」  喉まで出かけた言葉は寸でのところで呑みこんだ。いってどうなる。問いかけてどうなる。  吐き出した息は震えていた。怒りと悲しさで目の前がチカチカしていた。  白花と揉めたくない――なんて滑稽な話だろう。揉める? 白花が、わたしなんかと揉めてくれるって?  白花とわたしが対等だったことはあるだろうか――。  表情を取り繕う真似はしなかった。  伝わらないのだ。きっと、泣こうが喚こうが、白花には伝わらない。心の動きを理解してもらえない。  人間の男女であれば、お約束のやりとりができた。『あなたにそんなこといわれたくない』といえば、『ああ、自分に気があるのだな』と察する。もし違えば、それはポーズだ。  だけど白花は違う。前提条件が違う。白花の言葉はセクハラでも駆け引きでもなんでもない。そんなもの、人間と彼との間に成立しない。彼は、人間という種の、いや、生き物の特性を述べたまでだ。 「――白花、わたしね、あなたにそんなこといわれたくないの」  冷静に、冷静に。 「嫌なの」 「わかった。わこが嫌がるならいわないよ」 (わかってない)  わかるなら、はなからこんな残酷な言葉で殴ってこない。  感情が高ぶったときには、五秒数えてゆっくり深呼吸をする。吸って、吐いて、吸って。 「白花。わたしね、しばらくあなたに会いたくないわ」 「どうしてだい?」 「いまの会話がとても嫌だったから、忘れたいの。でもあなたがそばにいると思い出すでしょう? しばらくは顔も見たくないの」 「そうかい。それは寂しいね」  ちっとも寂しくなさそうに、白花は頷いた。  それがわたしはとても寂しかった。  翌朝、わたしは最悪な気分で目が覚めた。部屋には白花がいた。いつもの癖で注いだ視線の先、いつもの場所に白花はきれいな姿勢で正座をしていた。  ああ、今日は座っているんだな、と思った。  朝は、わたしが話しかけるまで、白花は話しかけてこない。  白花を無視して無言でカーテンと窓を開け、朝食をとり、朝のストレッチをして、戸締りのために窓を閉める。  上着を着て玄関に向かうと、白花も立ち上がってついてきた。  それでも無視を続けてスニーカーを引っかける。今日は黒にしよう。 「いってらっしゃい、わこ」 「……」 (なんてひどい男だろう)  仕事中は白花がいない時間だ。せっかく会わなくていいのに、わたしは仕事をしながらも悶々と白花のことを考えてしまう。 (一人にしてほしかったのに……)  一人にしてくれないのが、振った相手に期待を持たせるとか、そういう理由ならいいのに。そんな下種な行動ならまだよかったのに。白花にそんな下心はない。完膚なきまで、わたしは彼にとって別の種だ。  なんとも思われていないと現実を突きつけられて、それでも冷静に会話ができた昨日のわたしは立派だったと、今日のわたしはなんども自画自賛している。 (あ、でも、これで白花がいなくなったらどうしよう……。いやいや、いなくなったら――いないほうが普通なんだから。そしたら婚活すればいいじゃん。人間とお付き合いしたら、やっぱ一人でいいってなる可能性のほうが高いけど。精神的にもそっちが楽じゃん)  時間が経つにつれて恐怖と後悔ばかりが膨らんでいく。  しばらく距離を置きたいという言葉は、お別れへ続く道だ。距離を置いて復縁する恋人や夫婦がどれほどいるだろうか。 (どうしよう……)  白花は、白花の意思でわたしのそばにいるに過ぎない。白花はわたしがいる場所がわかっても、逆はない。もし白花がわたしに飽きてどこかに行ってしまったら、その時点がお別れなのだ。 (どうしよう……朝のあれがお別れになってしまったら、どうしよう……)  別によかったのに。白花がわたしと同じ想いを持っていなくても、穏やかに一緒にいられればそれでよかったのに。 (聞き流せばよかったのに。なんで、友だちが羨ましいなんていっちゃったんだろう……)  いつもとは真逆で、時間が経つにつれどんどん元気がなくなっていく。家に帰るのが怖いだなんて、初めての経験だ。  早く仕事が終わってほしい。白花が家にいることを確かめたい。  まだ終わらないでほしい。白花はいなくなっているかもしれない。  相反する気持ちで終業時間ちょうどに仕事を終えた。採用試験の結果待ちのようだ。こんな不安な気持ちで家に帰るのかと、会社を出て数分。 「おかえり、わこ」  大好きな声がわたしを迎えた。声の主は前触れもなく現れて、わたしの横に並んでいた。 (……)  滲みそうな涙を歯を食いしばって耐える。返事なんてできなかった。  もとより人の往来がある場所で会話をすることは少ない。  わたしが返事をしなくても、白花は文句をいうでもなくついてきた。 (わたしばっかり……)  こんな感情に振り回されるのは、わたしばかりだ。わたしなんて、白花の顔を横目で盗み見ることさえできない。いまは、口を開いたら泣いてしまいそうだ。泣くのはプライドが許さない。絶対にこんなことで泣くものか。  悔しさと腹立たしさと悲しさと、なにより安堵が入り混じって、眼球の奥が熱い。  二人きりになる時間を先延ばしにしたくて、わたしは久しぶりに外食をすることにした。帰ったら白花を無視できなくなる。せっかくだから提供に時間がかかって、おいしいものを食べようと、お蕎麦屋さんの暖簾をくぐる。 「ああ、ここはひさしぶりだね。わこは海老を食べるのだね」 「……」 「いらっしゃい、一名様?」 「はい」  チラリと見た顔は、訳知り顔をしている。わたしの気持ちなんてちっともわかってくれないくせに、当たり前のように食の好みはしっかり把握している男が憎い。 「ざるそばと玉子焼きと小おむすびセットと……あと、茶碗蒸しお願いします」  とっても悔しいから、わたしは当てつけのように、海老天のついていないメニューを選んだ。盆に乗せられてきた皿を見て、白花が「わこ、間違っているよ」と指摘してきた。これで合っているのと内心でいい返して、少し溜飲が下がった。わたしばかり振り回されるのは嫌なのだ。 「わこはここの海老天も好きなんだよ?」 (知っとるわい!)  思わず言葉が乱れる。  だからこの店にしたのに。白花がよけいなことをいうから、無駄な意地を張ってしまった。 (くそう、海老天そば食べたかった……)  こんなことで意向返しした気でいるちっぽけな自分が嫌になる。 「今日はいつも以上に食欲旺盛だったねえ。お腹が空いていたのかい?」 「……」 (やけ食いも兼ねていましたからね)  時刻は二十時近いというのに、春も終わってすっかり日が長くなっていた。まだまだ街は活動時間だといわんばかりに、道沿いの店はどこも明るい。 「わこは玉子焼きも好きだねえ。今日みたいに厚みがあって表面が少し茶色くなっているものだと、食べていて嬉しそうだ。大根おろしがあると、なおいいね」 (嬉しそうなのはあなたのほうじゃない)  白花は、自分が知っていることを話すとき、少し得意げに声のトーンが上がる。  朝起きてから、いままで、わたしは今日一日ずっと白花の言葉を無視し続けているし、目を合わすこともしていない。  それなのに、白花はてんで気にしていなかった。  オロオロと様子を窺うこともなく、わたしの態度に腹を立てるでもなく、穏やかに微笑んで、おっとりわたしに話しかけてくる。返事がなくても気にしないし、反応を促すこともない。  普段となにも変わらないから、いつだって白花は、わたしが好きな白花だ。  喧嘩中との認識はわたしからの一方通行で、白花はなんにも感じていない。あっぱれな感覚の違いだ。  帰宅してすぐに浴室に向かった。熱いシャワーを頭から浴びると、気持ちがすっきりする。  メイクを落とせば、心も軽くなった気がした。  無言のまま、話しかけられないように時間をかけてドライヤーを使い、就寝準備を整えてソファに乗り上げた。膝を抱えて背もたれに右半身を預けたわたしを、白花が不思議そうに眺めている。  白花はわたしが浴室に向かう前から、いつもの場所で正座をしていた。 「わこ?」  白花の顔が、ノートパソコンとわたしの顔を往復した。わたしの習慣を熟知している白花に、胸がギュッと痛くなる。今日は動画を観ないのかい? って、そんな顔をしている。 「――白花はひどいよ。喧嘩もさせてくれない」  最初から勝てる気がしていないから、弱弱しい文句になった。 「ん?」  白花の声が優しい。うううん、違う。優しいんじゃない。いつも通りなんだ。こんなときでも、たとえわたしがいつも通りじゃなくても、白花はいつも通りだ。 「しばらく一人にしてって、いったじゃん」 「うん」 「うんじゃないよ。なんで聞いてくれないの」 「ああ、わこは眠っていたから気がついていないのだね。昨夜わたしは、遠くまで出かけていたのだよ」 「わたしが寝てるときにいないのは、いつものことでしょう」  とんだ屁理屈を返されて、語尾が強まる。白花はそんなわたしを宥めるでもなく、「わこのいうしばらくは、もっと長かったのだね」と頷いた。 「ずっと無視してるのに話しかけてくるし。普通の顔してさ」 「無視をしていたのかい?」  驚いたと、白花が感心した。 「白花、わたしね、白花のこと好きなんだ」 「うん、わたしもわこのことが好きだよ」  なんて穏やかな返しだろう。これが好きな人からの言葉なら、心が満たされて舞い上がりたくなる。  それでも白花の好きはわたしの好きとは異なる。  わたしと同じ好きなら、ほかの男といつ結婚するのか、ほかの男の子どもを産むのだろうなんて絶対にいわない。 (悔しいな。振られるのも辛いけど、てんで相手にされていないって、悔しいんだなあ)  もしここでわたしが涙を流したとて、零れ落ちる涙は、わたしが拭わなければ頬を伝って落ちていくだけだ。白花はわたしに触れることができない。 (違うな。触れたいと思っているのはわたしのほう。わたしが、白花に触れられないんだ)  好きな人にあなたのことが好きだと伝えるのは、まさに十年ぶりだった。白花を見下ろしたわたしは、感慨も緊張もなく、ただ事実として言葉を渡した。  白花はいつものように柔らかな微笑みを浮かべて、正座をした場所から動かない。 「わたしね、白花が好きでね、ずっと一緒にいられたらいいと思っているの」 「うん、わたしもわこがこの世にいるあいだは、ずっとそばにいるつもりだよ」  シャワーを浴びたあとで良かった。いまなら、どんなに涙を流しても、顔を歪めても、メイクが落ちることを気にしなくていい。惨めな気持ちと汚い泣き顔に、さらに濁った色を乗せたくはなかった。  だけど、わたしは絶対に泣かない。 「わこのそばにいるよ」  わたしのいった内容を復唱確認のように繰り返す白花は、まるでAIのようだ。 (以前もそんなことを思ったな……)  込み上げてくるもので過呼吸を起こしそうなわたしと、一本調子の白花。わたしがもしわたしの友だちで、この場に居合わせたら、その男はやめておくようにって、絶対に止める。 「わたしが死ぬまでずっと?」 「うん。わこが死ぬまでずっと。ひふみのときもそうしたからね」 (ひふみさん……)  亡くなったかたには永遠に勝てない。これも使い古されたセリフだけれど、わたしにとっては紛れもない真実だ。ひふみさんのときもそうしたんだといわれて、唇を噛みながら何度も頷いた。鼻の奥が痛くて鬱陶しい。  穏やかで大らかで達観していて優しい。白花がもしも人間だったら、最高の夫になっただろう。恋情がなくとも、契約婚であっても、白花となら、穏やかな人生を送れただろう。契約婚だと思えばいい。思えばいいのに、思えない。白花が人間じゃないばかりに、割り切れない。こんな人間にしか見えない姿で、諦めがつかない。人間じゃないっていうのなら、どうして人間の姿をしているの。異形ならこんな感情を抱くことなくいたかもしれないのに。 (わがままでごめんなさい……)  すごいことなのに。独りで死んでいくんだなあと漠然と納得していたことを思えば、こうして一緒にいても嫌じゃない誰かが一緒にいてくれるのは、奇跡みたいなのに。家同士のしがらみや子どものことなんかを考えたくないくせに、独りは嫌だってわたし、思っていたじゃない。白花は条件を満たしているじゃない。  なのに白花の心まで欲しい、パートナーとしての愛情が欲しいだなんて、欲を出しすぎだ。  だからいわない。白花には告げない。白花が思っている好きとは違うんだって、少女漫画の主人公みたいな自惚れたセリフは絶対に口にしない。ああいうのは、どこかに勝ち筋があるからこそ出る自信の現れだ。あるいは、恋する自分に酔っているからこそできる表現だ。  わたしは身の程を弁えられる大人だ。無理なものは無理だし、駄目なものは駄目。  ハンドタオルをとるために立ち上がっても、白花は足を崩すこともなく、わたしを目で追っただけだった。追いかけて後ろから抱きしめてくれるようなことはない。  洗面所で顔を洗って、泣きの気配がないことを確認してから部屋に戻った。白花の横を素通りして、ソファに斜めに座り、再び白花と向かい合った。お互いが精いっぱい手を伸ばしたら届くくらいの距離。  これがわたしと彼との縮まらない距離。 「これからもよろしくね」 「うん。こちらこそ」  諦めの悪い人間は、割り切ったような顔で数時間過ごしたあと、一旦終わらせた話題を引き寄せた。いっても無駄だからって自ら線を引いたくせに、もう一つだけ、もう一言だけ、心の内を彼に見てほしかった。白花に甘えたかった。 「ねえ、まだいる?」  消灯してしばらく。鼻の上まで布団を引っ張り上げて、わたしは背中に声をかけた。  もちろん、ベッドの上にはわたし一人だ。背中合わせに眠る人なんていない。 「――いるよ」  返事は部屋の入口付近からあった。おやすみを交わしたとき、白花は立っていた。すぐに消えてしまうと思いきや、あれから三十分以上もそこに突っ立っていたのか。 「あのね」 「うん」  ベッドに入ったあとのわたしが白花に声をかけたのは、これが初めてだった。  電化製品の電源ボタンと窓の外から漏れる光しかない暗さの中で、誰かと言葉を交わすのは、特別なことだ。 「わたしが死んでもね、白花って、わたしが呼んだこと忘れないで。たくさん呼ぶから。いっぱい。これから死ぬまで、おばあちゃんになって、わたしが死んじゃうまでなんどもなんども呼ぶから。だから、忘れないで」 「わこ、それはわたしがどうこうするものではないのだよ」 「うん。わかってる。ひふみさんのつけてくれた名前は、白花、忘れちゃったんだもんね」 「わたしが忘れたのではなく、世界が消したんだよ」  昔、呼ばれていた名前を忘れるって聞いたときには、切ないなくらいの感想しか抱かなかった。同情はしても、同情するのも失礼だなと感じるくらいの他人事だった。だけどいまは……。 「うん。それでも。忘れないでほしい」  わたしがどんな想いで白花の名前を日々呼んでいたか。その呼びかけにどんな感情を乗せていたか、忘れないでほしい。  わたしにしか呼べない。  白花を想うわたしにしか、白花って名前は呼べない。たとえ同じ音であろうと、わたしにしか呼べない。それを忘れないでほしい。 「……」 「ごめんね、ごめんなさい。わがままでごめんなさい。白花を縛りつけたいわけじゃない。だけど忘れないで」  あなたを愛したわがままな人間の女がいたんだって。 「名前を忘れても響きを忘れないで。温度を忘れないで。白花って、わたしが呼んだこと、忘れないで。ごめんね。こんなわがまま、もう二度と口にしないから。だから、忘れないで」  白花は返事をしなかった。白花は嘘をつかないし、できないことをできるとはいわない。 「白花、忘れないで」  これがわたしの遺言だ。  まだまだ死ぬ気はないけれど、わたしが遺すものはこれだ。 (最大級に重たい告白になったなあ……)  わたしが、人間らしい恋情を伝えるのはこれが最後にしよう。みっともなく縋るのも最後にしよう。愛されないのならせめて、惨めな女にはなりたくない。死んだあともひふみさんに勝てなくなる。届かなくても、理解されなくても、恋焦がれているのだと、人間らしいわがままを人間じゃない白花に押しつけるのは、これを最後にしよう。 (ただ一つだから、呪いになるのかもしれない)  心に秘めた誓いを、わたしは死ぬまでずっと守り続けた。  白花は、わかったよといわなかった。わたしは枕に顔を押しつけて、涙の一滴たりとも空気に触れさせなかった。真っ赤に晴れ上がった瞼も鼻も、絶対に見られないよう、察せられないよう、後ろは振り向かなかった。  もしかしたらわたしが聞き漏らしたのかもしれないけれど、白花はあのとき一切の返事をしなかった。 (きっと、好きだって伝えることもできた)  わたしの想いを、白花は穏やかに微笑みを浮かべながらきっと聞くだろう。否定も拒絶もせずに、音として聴くだろう。白花がわたしを見る目は変わらないだろう。二人の関係性は変わらない。  恋だの愛だの結局は持つ側の想いだ。持つ側の荷物だ。  伝えても伝えなくてもなにも変わらないのなら、もういいじゃないか。  伝えたところで、お付き合いだの結婚だのする人間とは違うのだ。人によっては、性交渉の免罪符に過ぎない。そこまで極端じゃなくても、生き物として、言葉や形にこだわったところで、それはすべてがみんなにとって同じ意味を持つわけじゃないのだ。わたしと白花だけってわけじゃない。  わたしは白花が好き。それでいいじゃないか。人生を通した片想い。上等だ。  わたしが年をとったとき、白花はなぜこの人間は子孫を残さないのだと不思議がるだろう。生物としての役目を果たしていないと首を捻るだろう。いいじゃないか。変わり者の人間でいいじゃないか。  もしおばあさんになってまた聞かれたら、微笑んで聞き流そう。あなたを愛しているからほかの男に触れたくなかったなんて、絶対にいわないでおこう。それがわたしの生き方だ。  わたしは白花にわかってほしいと縋らなかった。縋っていたらなにか違ったのかな。妖怪の青年と番になった少年漫画の少女みたいに、人間以上の愛情深さでもって生まれ変わっても溺れるような愛に包まれたりしたのかな。選ばなかった道は、永遠にわからない。  ただ、わたしは白花を、自分の夫として生涯愛し続けた。  わたしは一生、意地を貫き通した。  白花はずっとわたしと一緒にいたし、わたしはずっと幸せだった。
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