スワロウテイル

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 長崎揚羽は小笠原紫希(おがさわらむらさき)が創作活動で用いていた筆名であり、紫希の憧れであり、敵であり、まぎれもない紫希自身だった。  継続が力になるのは才能が具備されている場合に限る。無能の継続は即ち弱者の露呈。陸に打ち上げられた魚が最後の悪足掻きにビチビチ飛び跳ねることと何ら変わりがない。そして自身にその「才能」がないと自覚したからこそ、小笠原紫希は小説を書くことを辞めた。  無能であることは認めるけれど、どうせならもっと果てしなく、救いようのないくらい無能に生まれたらよかった。そうすればいつまでも磨かれない自分の才能を呪うこともなく、小説を書くのを辞めることもなかっただろう。そしてSNSのタイムライン上から姿を消した自分について誰も気にも留めず、ゆるやかに流れてゆく世界の時間を止めたいと願うことも、きっと――。  自分で自分の「小説書き」としての息の根を止めたくせに、紫希は早くも後悔していた。今でも掌に残っているのは、泡をふいて涎を垂れ流しても、それでも全力で締め続けた首の生暖かさと、骨の軋む感触。生々しくて涎のねばつきさえ再現できそうだと思いこそすれ、その様子を記す筆を執ることが、今の紫希にはできない。  他人ではなく、自らの手で終わらせたのだ。今更土の下から墓石を蹴り飛ばして生き返ることなど許されない。小説の中の登場人物には許されるかもしれないけれど、ただの人間たる小笠原紫希には許されない。  小説を書かなくなった自分は、ただの人間。  突然の恋も殺人事件も不治の病も、自分のもとには訪れない。  紫希は、いつまで経っても「終」の字が見えない人生に退屈しはじめていた。
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