スワロウテイル

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 *    小説などというものを、ろくに読みもしないまま書き始めたのが三年ほど前のこと。たまたまその場の気分で応募してみたウェブ小説コンテストで奨励賞を受賞したのが、紫希が「長崎揚羽」として生きる物語が静かに動き出した瞬間だった。いきなりの「大賞」ではなく「奨励賞」という絶妙なポジションが、元来負けず嫌いな部分があった心に火をつけたと言ってもいい。どれほどのものか……としばらく読み進めた大賞受賞作が、右足の指にペンを挟んで書いたのかと思うような陳腐な中身だったことも効いた。結局はただ別れるだけのくせにネチネチと何十ページも付き合わせやがって……という感情が先に訪れ、その理由がヒロインを蝕む原因不明の難病だと理解した段階でもう我慢ができなくなり、ブラウザごと閉じた。子供向けのアニメでよくある勧善懲悪と同じく、恋愛感情と死を織り交ぜるのが流行らしい。なぜこれが「たいへんよくできました」で、自分の作品が「もっとがんばりましょう」なのか、どんなに考えても答えを導き出せなかった。  誰も、何もわかっちゃいない。  今にして思えばその感情こそが驕りの極みだけれど、紫希、もとい長崎揚羽はその気持ちに突き動かされ、破竹の勢いで作品を連発した。長編短編問わず、恋愛ばかりじゃなくサスペンスやミステリーまで書けるようにならなければと鼻息を荒くして、書店では代表作の題名すら知りもしないくせに著者名だけで本を手に取り、まとめてレジに持って行った。  全ては長崎揚羽がいずれ世間を驚かせる小説家となるための一歩で、それがたとえ蟻と同じ小さな一歩だったとしても、いつか誰かは分かってくれる人が現れてくれたら、誰か一人だけでもずっと自分のことを見ていてくれれば、と――。  不幸だったのか幸いだったのかは分からないが、長崎揚羽は完全に沼の底に沈むこともなければ、あっという間にトップに登り詰めるわけでもなかった。作品を公開するごとに、SNSの宣伝ポストに「いいね」を飛ばしてくれる特定の小説書き仲間もできた。それは自分が箸にも棒にも掛からぬ下手くそではないということの証明であり、且つ手の届かない取っつきにくい存在とは思われていないということの表れだった。
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