スワロウテイル

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 *    パソコンを起動した紫希は、約一年前「お知らせ」を残してログアウトしたまま、以降一度も開かなかったSNSのログインページへ進んだ。「いいね」もリプライも届かないという寂しさを味わいたくなくて、ただ一方的に書き置きをしたきりだ。もう二度とログインすることはないだろうと思っていたアカウントのIDもパスワードも、ブラウザが勝手に入力を補助してくれた。自分の頭で覚える必要のなくなった事柄が多くなったことも、いわゆる活字離れが加速した原因なのかもしれない。  少しのラグのあと、タイムラインが表示された。通知欄には数字の入ったバッジが表示されている。飛び抜けて多いわけでもないが、閑古鳥が鳴いていたわけではなかったようで、胸をなでおろす。  なぜ安心しているのだろう。  長崎揚羽を殺したのは、自分なのに。  長崎揚羽はちゃんと愛されていた。ならば小笠原紫希は誰かに愛されているのか。  唐突に鈍く光る刃の先が向いた感覚をおぼえ、視線を再びタイムラインへと移す。   パピヨン〈このたび「第五回スワロウテイル文学賞」にて準大賞を受賞しました。大賞を逃したことはもちろん悔しいですが、今の自分の力量を自覚して、今後も皆さんに楽しんでいただける物語を書き続けていきたいと思います。いつもありがとうございます!〉  除草剤を撒き、草木を根絶やしにした庭園へ、パピヨンがひらりひらりと戻ってきていた。それも紫希が筆を置いていじけているうちに、その羽からこぼれ落ちる鱗粉は確実に美しさを増していたらしい。  スワロウテイル文学賞は、数多のウェブ小説サイトで開かれるコンテストの中でも特に規模が大きいことで知られている。たとえ大賞でなくとも、面白い作品を書いた著者には書籍化の打診が来た実例も存在していて、長崎揚羽のフォロワーでも挑戦する者が多くいた。  そんな文学賞の、準大賞。パピヨンが。まあ当然だと思う。自分がメンタルに髪の毛みたいな細さの傷がついたと喚いていた間も、パピヨンはずっと書き続けていたのだろうから。タイムラインに姿を見せなくなったのも、長崎揚羽の作品を読まなくなったのも、きっとこの作品を創り上げるため必要なプロセスだったに違いない。  自分が小説を書かなくなってから、紫希は文学作品というものに触れてこなかった。せっかくだし、久しぶりに読んでみようか。もう長崎揚羽が筆を執ることはないだろうけれど、読むことだったら今の自分にも、小笠原紫希にだってできる。それが自分の求めていた存在の書いた作品なら、尚更だ。  懐かしさと、自分に降り掛かった幸福のような錯覚をもてあそびながら、紫希はパピヨンの受賞報告に付いていたURLをクリックした。  さっそく作品のトップページに書かれたあらすじを読み――。 (……これ)  紫希の胸の中に突如呼び起こされたのは、既視感と言うにはあまりにもはっきりし過ぎている感覚に対するざわつき。  そして、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放ったはずの、()()()()のひとつの作品だった。
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