奈々瀬の家

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 私はナイフを下ろした。いづみが缶ビールの中身をシンクに流している間に、キッチンペーパーを取って来てこぼれたビールを拭く。安っぽいカーペットはビールを弾いていた。ビニール素材で良かった。 「あの……」  片付けを続ける私たちに、ずっとうつむいていた奈々瀬がぽつりと言う。キッチンから戻ってきたいづみが、ことさら明るい声を出した。 「奈々ちゃん、センスいいのに男を見る目なさすぎー。あやうく殺人事件になるところだよ」 「……だよね」  奈々瀬は苦笑し、それがそのまま嗚咽(おえつ)になった。  あんな(ひと)でも、最初は素敵に見えたんだ。と、奈々瀬は言った。私は嘘でしょ? と思ったが、いづみは「そういうときもあるよねー」と知ったかぶっている。彼氏いないくせに。 「最初は、大雑把なところも可愛く見えてた。でもすぐに違うなって気づいたの。別れたかったけど、あんな人だから話はそらされるし、大学に行くとか言って脅かしてくるし、それで……」 「ずるずる続いてたんだ?」 「うん。大家さんが旅行中の間に、決着をつけようと思って呼んだ。でも、なかなかできないでいたときに駒ちゃんといづみちゃんが……」  再び涙を溢れさせた奈々瀬の背中を、いづみがそっとさする。 「奈々ちゃん、大変だったね。もう大丈夫だからね」 「二人とも、ごめん……迷惑かけて」 「迷惑じゃないって! 奈々瀬の家は私の第二の実家だもん」 「駒ちゃん何言ってるの? それはともかく、これからは私たちのこと、もっと頼ってよね。何があっても奈々ちゃんの味方なんだから」  私たちの言葉に、奈々瀬は泣き笑いの表情を浮かべた。 「……うん、ありがとう。私も、二人の友だちに戻れて良かった……」  私たちは、泣き疲れた奈々瀬を休ませることにしてアパートを出た。歩きはじめて数分後、私はふとエコバッグの重みに気づいた。 「やば、持ってきちゃった」  男を脅すのに使ったペティナイフを、どさくさに紛れて持ってきてしまったのだ。取り出したナイフは、小ぶりながらも静かな暴力の気配に満ちている。ケーキどころか肉を切るのにも便利そうだ。私は思わずあたりを見まわし、ひと気のないことを確認した。 「次、会うときに返しなよ。これに包む?」  いづみがタオルハンカチを出してくれる。私はありがたく受け取り、包んだナイフをバッグに戻した。 「これ、すっごい鋭いよ。刃もメスみたいに薄い」 「きっと、によく研いでたんだよ……」  いづみはアパートをちらっと見た。 「奈々ちゃん、それであの男を刺すつもりだったのかも」
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