重たい扉、その向こう

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 家に帰ると夫がいるという生活ももうすっかり馴染んでしまった。当たり前のように帰ると夫が家にいる。在宅で仕事ができる夫は時間の融通が利く方なので、家事をやってもらうことも多い。私はパートとはいえ十七時や十八時という時間に仕事が終わるので、帰りは更に三十分から一時間くらいあとになる。  結婚したのは二年前だった。同棲期間を設けなかったので、結婚して初めて夫と過ごす生活が始まった。それは最初はひどく大変なことだった。夫の生活習慣は私とは全然違うものだったからだ。  朝は普通に起きて、夜は普通に寝るものだと思っていた私とは対照的に、夫はやりたいときに仕事をし、寝たいときに寝ればいいという生活スタイルだったのだ。おかげで、睡眠時間はいつもバラバラで、それでよく体調を崩すんじゃないかと思っていた。だが、彼はそのスタイルを変える気はないと言ったのだった。  人と生活する上で、お互いなにかを妥協したり許容したりするのは当たり前だと思っていたのだが、これは私が合わせるか妥協するしかないのだろうと思い至るまでに二ヶ月ほど掛かったのだった。  夫のことを好きかというと、今はもう分らない。居て当たり前の生活に慣れてしまうと、好きという感情は分からなくなってしまうのだな、と思った。その切なさを、私は心底感じている。付き合っていた頃は――私たちの恋人期間は四年余りだったのだが――、もっと楽しかった気がする。それはやはり毎日一緒に居なかったからなのかもしれない。  四年という月日は、私たちを恋人からなにに変えたのだろう。いや、結婚してからの二年だろうか。同居人と呼ぶのではあまりに切なく、夫婦というにはあまりに関わりがなくなってしまったような気がする。家族と呼ぶにも、まだなにかが足りない気もしている。子供さえいればそのなにかは違っていたのだろうか。  けれど、私達は時間的すれ違いが多く、こんな環境で子供を作るというのは考えられないという理由で子供を作るのをやめた。どちらも子供が欲しいという強い願望がなかったので、私達自身の生活の方を優先するのは当たり前の選択だったといえる。  それでも、夫がいない生活は考えられないのだから、今の生活に不満がないと言えば嘘になるけれど、致し方ないのだろうと思う。私達はなるべくして夫婦になったのだと思っている。夫はどう思っているか分からないけれど。
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