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ふと、記憶の欠片が脳の中に零れ落ちた。
どこに隠れていたのだろうか。
俺はこの車に乗る前(だろうか)、仕事終わりにテレビを観ていたと思う。
何を観ていたかは覚えていないが……。
その後、何かがあったような気がする。
誰かが来たのか、玄関の方を見やったような――。
何だったろう。
記憶を何かがひしめくように覆っている。
まるで、蛾か蝶のような……。
遠くにある記憶に群れるようにノイズのようにひしめいて、ここの羽根の僅かなゆらぎや一羽一羽の動きがざらざらと蠢いて。
暗いシルエットの群れはそう見えていたと思ったら、徐にオレンジの光を帯びている。
羽ばたいている。目の前の、もうすぐそこ……?
トンネルに居るのか。なんで。
俺は、前方の座席の隙間から迫る蠢きに鳥肌が立つのを感じた。
近づくにつれ蝶それぞれの姿がはっきりしてくる。
――モンシロチョウ
ぶつかる。
ぶつかる……。
「ぶつかる!」
思わず叫んでいた。
毛穴という毛穴から汗が滲んでくる。
体温がそれに閉じ込められて、湿気った車内の空気に熱を喰わされる。
カササササササ、という音が車に擦れていく。
そして刹那、俺は目を見開いた。
車内の前方にある、送風口からモンシロチョウが溢れ出してきた。
咳をするようにエアコンの風は喘ぐ。
「わ、わ、なんだ、なんなんだ」
俺はパニックにならずにはいられなかった。
けれども前に居る三人の表情は張り付いたまま。
だが、徐に助手席に座る新塚が左手を掲げた。
送風口に詰まっているモンシロチョウどもを鷲掴みにする。
彼女の着る長袖の、ベージュのスウェットシャツの袖口から中にも入り込んでいるようで、その袖は微かにぼこぼこと揺れている。
おい、嘘だろ?
異常だ。
新塚は自らの左手に徐に右手を添えたようだった。
いや、その後その右手は新塚の顔の方に近づいていく。
食べている。
食べている……。
こちらからはよく見えないが、新塚の頬がいささか凹んだり膨らんだりし、トンネルの光を反射する鱗粉や、食べこぼした羽の一部、複眼が付いた頭などがほろほろと落ちていく。
そして――やめろ……やめろよ――俺の嫌悪、畏怖も露知らず岸辺も、そしてあろうことか運転手の小山もモンシロチョウを食べ始めた。
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