思い出集め

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「うわっ」 スマートフォンを見て思わず声が出た。 「どうした?」 同僚が尋ねる。 「いや、課長から連絡。ちょっとかけてくる」 嘘だ。メッセージは親父からだ。課長ごめん。 あの同僚とは課が違うからわかりはしないだろう。 (次の連休は帰ってこい。家族で食事だ……ねえ。よくやるよ) 俺は電話をかけた。その方が手っ取り早い。親父にではない。妹にだ。この時間は暇なはずだ。 「はい。あの話? 食事会」 「そう。お前行くの?」 「うん」 「馬鹿か。適当言って断れよ」 「断ったら私の都合のいい日聞いてくるもん」 俺はため息をついた。 「お兄ちゃんはどうするの」 「俺は行くよ。お前は来んな。行きたくないって言えばいいだろ。大学生なんだしあれこれ理由つけてさ」 「ひどいなあ。私も家族の一員なのに。てか、お母さんはそれでよくてもお父さんは全員集合にこだわんの、わかってんじゃん」 「親父のこだわりなんかどうでもいい」 「大丈夫だって。私も大人になったんだよ。食事会って言ってもたかだか半日でしょ。その間、イイコの演技ぐらいできますよ」 それが大人だとしたら、俺もお前も小学生の時から大人だった。もっとも、妹は「出来が悪い」から「子供」に戻ってしまうことが多かった。だから余計、苦労した。気の毒なことだ。要領が悪いと言うのは。 母は教育熱心だが、教育には向かないひとだ。その行動ははっきり言って毒親の部類に入るだろう。ことあるごとに俺と妹を比較し、妹をこき下ろす。妹が好きなことは「成績を上げる」ために全て潰してきた。部活も恋愛も。俺はその陰で要領よく勉強し、部活にも入り、こっそり恋愛もした。そう。恋愛だけはこっそり。母は「成績のいい男の子」である俺には甘かったが、恋愛は許さなかった。はっきりとは言わないが、そのくらい察しのいい俺にはわかった。俺は名門大学に入り、超有名企業に入り、上手いことやっている。「上手いこと」というのは実家からぎり通えない距離の支社で実績を積んでいるという意味。母の希望をかなえつつ、実家から離れているという意味。母にも俺にも精神衛生上完璧な暮らし。 妹は大学生だ。俺より偏差値の低い大学。でも、少しは近所に自慢できる大学だ。自慢? 誰が 誰に? もちろん両親が他人に。こちらも独り暮らし。実家に帰れる距離ではあるが、俺が上手いこと言って独り暮らしにさせた。母からは距離を取った方がいい。妹は知るべきだ。自由と自分のことを。母のそばにいると俺でさえ、自分がわからなく時がある。母はいつも俺を褒めるが、その対象は成績や要領のよさに過ぎない。ぎちぎちに管理され、表面ばかり褒められるとひとは自分がわからなくなるなるらしい。妹の場合、「褒められる」ではなくけなされるが正しいが、結局同じことだ。褒められる方がマシというだけで。 父は母とスタンスはほぼ同じだろう。子供の顔より成績表を見る人間だった。仕事の忙しさも相まって成績以外のことでまともに話した記憶がない。それが何を思ったか、俺と妹が実家から離れるようになると突然変異、月一の家族食事会を開催し出した。 最初は何事かと思った。あんた、俺たちの成績以外に興味あったんだなと出かかった言葉を飲み込む。今まで上手いことやってこれたのだ。わざわざ波風立てるつもりななかった。 (まあ、大体……) 理由は分かっている。 (あと何年かで定年だもんなあ) 「お兄ちゃんさ、もう大丈夫だって。うまくやれる」 「そんなことはわかってる」 「じゃ、この話はここまで。またねー」 切られた。俺はスマートフォンを仕舞うと仕事に戻った。 食事会はいつも通り終わった。父はどう思っているかわからないが、会社の雑務以下の最低な時間だった。ロクにしゃべらない父にぺらぺら俺の自慢と妹の嘆きを喋る母。曖昧な笑みを浮かべてそれを流す妹。母に自慢の種を提供する俺。 「ねえ、真。それで会社はどうなの?」 「楽しいよ。新しいプロジェクトも任されたしね。同期じゃ俺だけ」 まあ、これは事実だ。 「へえ、すごいじゃない。真幸は?」 「別に普通よ」 「普通って何よ。本当にあんたって子はぼーっとしてて。彼氏ぐらいいないの?」 「んー。勉強で手一杯」 「そうなの? ダメねえ」 例え恋人ができたとして妹がこの母親だけには言うわけがない。高校の時に彼氏ができたと聞いて「ロクな成績でもないくせにいやらしい」とかなんとか言ってその彼からのプレゼントを叩き割ったことを忘れているのだろうか。 真幸――妹はその後、母から恋人の存在を隠しきったが、肝心の恋人はバイクの自損事故で他界した。妹は両親にそれも話していない。家族で知っているのは俺だけだ。俺だってたまたま知ったに過ぎない。部活つながりで話を知っただけだ。学校は違うが、俺も妹の彼氏も空手部だった。一度試合して俺が負けた。 母は知らない。だから平気でそんなことを言う。いや、知っていてもけろっと忘れて同じことを言うかもしれない。母の無神経さ加減は贔屓されているはずの俺ですら辟易する。父は何とも思わないのだろうか。思わないのだろう。興味がないのか聞いていないのかはわからない。妹は素知らぬ顔で食事を続けている。 「バイトはしているのか」 父が唐突に言った。真幸はうなずいた。 「してる。サービス業みたいなもんかな」 「そんなことしてないで塾講師とか家庭教師とかにしなさいよ。真はそうだったでしょ。真幸の学歴じゃ足りないの?」 母が口をはさむ。真幸は穏やかに返す。 「そんなことないよ。でもサービス業も勉強になるよ。就職にも有利だし」 「えーそうなの? やっぱり塾の先生の方が」 なんでも俺を引き合いに出すなよ。面倒だな。相変わらず父は何も言わない。このひとは一体、毎日何が楽しくて生きているのだろう。そう言えば父の書斎には切手とコインのコレクションがあったのを思い出す。家族よりもよほど大事にしていた気がする。一分の隙もなくきっちり保管された切手とコイン。 「父さんは何のバイトしてたの?」 俺は話を変えた。 「家庭教師だ」 失敗した。 「ほらね。やっぱり。真幸もそう言うのにしなさいよ」 「そうだね。考えとくよ」 真幸はにこにこ笑っている。ああ、バイトを変える気はないんだなとすぐわかった。母の話を聞いているのかすら怪しい。 「本当にわかってるの? あんた、ぼーっとしてるんだから」 「これ美味しいね。レシピ教えて」 妹は微笑みを崩さぬまま言った。恐らく、このレシピが妹のアパートで再現される日は来ない。 「お兄ちゃんさ」 食事会が終わった帰り道。不意に妹が口を開いた。 「あれこれ気にかけてくれるのなんで? 彼氏が死んだ時からだよね。あの時あたしそんなにやばかった?」 「単純に不快。父さんと母さんのお前への態度」 「昔からじゃん」 「ガキの頃はお前がバカなのが悪いと思ってたから不快とか思わなかった」 「なにそれ酷」 「後、きっかけはそれじゃない。母さんが、お前の彼氏のプレゼント叩き壊してんの見てなんかものすごく嫌な気分になった」 あれを見たらいつか妹もああして壊すのだろうと思ってしまった。あの時、母が壊したのは香水だった。あのむせ返るようか甘い香りが忘れられない。あれ以来、両親が妹に冷たいことを言うたびにあの香りを思い出してははきそうになる。妹は知らない。知らなくていい。 「お兄ちゃんってかわいいとこあるよね」 「バーカ。俺は昔からかわいいんだよ」 妹は笑った。食事会の時とは別人のような爆笑だった。 そうして数年経った。俺に海外勤務の話が来た。俺はそれを受けた。願ってもない話だった。実家から今まで以上に距離が取れる。食事会も精々、三月に一回、いや半 年に一回になるだろう。 妹は就職した。新聞記者だと言う。 「あんな斜陽産業。しかも地方新聞なんて。全くあの子は」 母は例によって文句を言っていたが、俺はよかったと思う。引き続き距離をおける。食事会など俺以上に当分不可能だろう。そう思っていた。 「ねえ、真。真幸なにか言ってなかった?」 海外勤務の準備でばたばたしていると母から連絡が来た。 「何かって?」 通話をスピーカーに切り替える。悪いが、忙しい。電話にばかりかまけていられない。 「食事会には二度と行く気はないから誘わなくていいってお父さんに連絡があったのよ」 俺は手を止めた。なるほど。そういうことか。 「へえ」 「へえじゃないわよ。あの子、なんでそんなこと言うのかしら」 「さあ、単純に忙しいんじゃないの」 「それにしたって言い方があるでしょ。全くあの子はどうしてああなのかしら」 母が妹をどう思うが興味がない。 「いいじゃないか。別に来なくたって。俺は行くからさ。できる限り」 「よくないわよ。家族の食事会に来ないなんて外聞が悪いでしょ」 誰も興味ねえよ。他所の家庭の食事会のメンバーなんて。 「俺だけじゃ不足?」 「そういうわけじゃないけど」 「じゃあ、いいだろ。今までみたいな頻度は無理だけど、なるべく顔出すって。じゃあ、俺忙しいから。またかけ直す」 俺は電話を切ると笑い出した。 「あいつやるなあ」 就職して完全に巣立つまでじっと待っていたのだろう。義理堅いやつだ。大学時代に同じことを言ったらなんと言われていたか。学費出してもらっといてぐらい言われたに違いない。あいつはじっと文句を言われない立場になるまで待っていたのだろう。笑い声はしばらく止むこともなくひとり暮らしの部屋に響き渡った。  そして数日後、俺は海外勤務の前の最後の食事会に出た。もちろん妹はいない。これは内緒だが、妹には別日で会う予定がある。 食事会は相変わらず母の独演会だった。真幸の愚痴と俺への褒め言葉。ほらな、真幸がいてもいなくても同じ。いや、ひょっとすると俺だっていてもいなくても同じなのかもしれない。 「じゃあ、あっちに行ったら連絡するから」 食事会が終わり、席を立つと珍しく父が送ると言いだした。母は残って片づけをすると言う。 「駅まででいいよ」 「そうか」 しばらく無言のまま歩いた。 「真幸が」 不意に父が口を開いた。 「真幸?」 「疲れたと言ったんだ」 「疲れた?」 「悪いけどもう疲れた。もう食事会にはでないから誘わなくて大丈夫だと」 俺は父の顔を見た。どうやら妹の話をしたくて送ることにしたらしい。 「忙しいならともかく疲れたの意味が分からん」 「わかんない? そうだよな」 父は俺もわからないよと共感の意味に取ったのかもしれない。が、もちろんそういう意味ではない。あんたには一生わからないだろうなという意味だ。 「いいじゃないか。思い出集めに真幸は必要じゃないだろ」 父は無言で俺を見た。 「父親は娘と疎遠ぐらいがちょうどいいさ。そう言えばいい」 俺の言葉が気に入らなかったのか「思い出集め?」と低い声で呟いた。 「父さんは集めるの好きだもんな。切手とかコインとか。それ以上に名誉とか成績とか実績とかさ。実際、父さんはよく集められたと思うよ。父さん分はもちろん、俺らの分まで集められた」 父はもう会社でかなりのところまで出世した。コネもないのにここまでこれたのは本当に優秀だと思う。しかもこう言っちゃなんだが、妹も俺もまあひとに自慢できる身分だ。これからはわからないが、まあとりあえず世間に顔向けはできただろう。素晴らしいコレクションだ。 「だから次は今までないがしろにしてきた思い出を集めようと思ったんだろ。相手は優秀な子供だ。安心して思い出を集められるもんな。それでその思い出を同窓会かなんかで見せたいんだろ。定年退職したら自分の地位の自慢はできなくなるし。まあ、いい再就職先も就職先での地位もあるんだろうけどそれ以上の出世はないもんな。同窓会で一度自慢したら終わりだ」 「何が言いたい」 「いや、そのままだよ。一度自慢したら終わりの地位じゃ、嫌なんだろう。見せたいものを増やすには別の物を集めればいい。この間は家族で食事した。息子は今度海外勤務だ。でも食事に来てくれる。妹はひとり暮らしだが、やっぱり食事に来てくれる。孝行息子に孝行娘の話は尽きない」 父の顔が赤くなった。父の感情は分からない。わかりたくない。あんたは集めるだけだ。いつだって集めるだけなんだ。家族の気持なんか興味がない。家族の言葉なんか聞いてない。集めて披露しておしまい。集められた側の気持ちなんかどうでもいい。コインや切手と同じなんだから。 「勘違いしないで欲しいんだけど、俺はそれが悪いと言いたいんじゃない」 悪いんじゃない。教育に向いてないだけ。父は優秀だが、親に向いてない。母も同じだ。 「できる限り付き合うよ。父さんには感謝してるし、食事会も嫌いじゃないしね」 好きでもないが。まあ仕事の一環と思っている。割り切ればそれなりに楽しい。接待の練習だ。料理もうまい。 「……」 「でも、真幸は違う。感謝はしてるだろうけど」 「……」 「あいつ、言ったんだろ。疲れたって」 「……」 「お前は疲れなかったのか。俺と母さんの家で」 俺は笑って答えなかった。疲れていたさ。真幸ほどじゃないにしても。でも、あんたは知る必要ないだろ。それを聞いて何を変えるつもりだ。それに付き合えるほど俺は元気じゃない。あいつもそれが言いたかったのだろう。これ以上あんたの思い出集めに付き合える程私は元気じゃない。それが真幸の言う「疲れた」なのだろう。 「俺は最後まで付き合うよ。思い出作り。でも、あいつはもういいだろ。疲れてるやつまで引っ張ることはないさ」 「しかし母さんが」 今さら母さんを持ち出すのもわからない。母さんの気持ちなんかあんた興味なかったろ。 「母さんは真幸がいてもいなくても同じだよ。今日の食事会でわからなかった?」 「お前の言うことはさっぱりわからん。母さんはお前を可愛がっていただろう。真幸だって」 俺は微笑んだ。今日はいつも以上に疲れ切っていた。真幸の気持ちが痛いほどわかる。 「父さん。俺から言うことはもうない。今まで通り、時々一緒に過ごそう。俺と母さんと父さんとで。それで十分じゃないか」 父が納得したかはわからない。だが、そんなことはどうでもよかった。 「じゃあ、またな」 駅に着いた。俺は手を振って歩き出した。ひどく飲みたい気分だった。
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